創価ダメだしブログ

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創価の乞食信心では分からない信心の話。

本人にとっては大きな出来事だろうが、他人からみたらチンケな体験談を語って「自分はこんなに功徳をもらったのだから創価学会は正しい」と反知性なことを主張する創価学会員が後を絶たない。チンケだろうと何だろうとその当人の体験したことについてどうこう批判するつもりは毛頭ないが、オノレのチンケな体験談を持ち出して創価は正しくて正宗は間違っている。とか主張してんじゃね~よ、アフォがと思っている。体験談しか創価信仰を正当化する方法がないから世間ではなんでもないことでも功徳と言い出してチンケな体験談を自慢するようになるのだろう。更には「法華講には功徳がない」とか見てきたようなウソを吐く罵活動家もいるが、私の寺院の支部座談会で小グループに分けて体験談を話し合う企画があった時に全員がコトの大小はあるにせよその人なりの功徳の体験はちゃんとあるのだなと思った。現世利益の功徳ばかり求めて御本尊を幸福製造機なんて言っている乞食信心の創価学会員には分からないだろうが、法華講員は功徳優先の信心をしていないのでいちいち功徳自慢なんてしない。法華講員の功徳体験の中には創価時代には聞いたこともないような凄い体験談も聞いたがその体験談を自慢気に話さないのが法華講員だ(もちろん例外の人もいるだろうが)。創価時代に「御本尊に護ってもらえるような信心」というような指導をよく聞いた。それから長い間、御本尊に護ってもらえるような信心を心掛け、また何度も「護ってください」と御本尊に御祈念もした。創価から正宗に移籍してしばらくたった頃にある年配の法華講員さんの「御本尊様に守ってもらうのではなく、御本尊様を守っていくのがいくのが信心だよ」との言葉を聞いて目から鱗が落ちた。それまでの創価のどの幹部の指導よりも老齢のいち信徒である法華講員さんの一言が心に刺さった。そして「どうしたら御本尊に護ってもらえるか?」という考えから「どうしたら御本尊を護っていけるか?」という考えに変わった。それからは、御給仕も勤行唱題も参詣・登山も御供養も全て御本尊を護る事と心に決めて実行している。創価の乞食信徒には分からないはないだろうが「御本尊を護っていく信心」に仏道修行の全てが集約される。「功徳をください。守ってください」なんて自分の事ばかり祈るのは修行ではない。もちろん苦しい時は「守ってください。助けてください」と祈ることは間違っていないが、どんな時でも力の限り御本尊を護っていこうという「心」が「信心」ではないだろうか。選挙活動や新聞啓蒙に御本尊を護るという意義はない。以前も書いたが「広宣流布」とは「令法久住」の為の行動である。御本尊を護らない活動は「広宣流布」とは言わないのである。仲間内でわちゃわちゃしているのが楽しいのだろうがそれは信心ではない。信心でない以上、創価信心に本当の功徳などないのである。

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