創価学会員は虚像の池田大作だけしか見ていないが、史実で見る池田大作は権謀術数と裏切りの人生を送ってきた人間で「立派な指導者」とは程遠い人物である。そんな池田が政敵の共産党を騙し討ちしたのが、1974年12月に池田大作会長(当時)と共産党の宮本賢治委員長(当時)の間で締結した「日本共産党と創価学会との合意についての協定」通称・創共協定だ。現在同様に公明党と共産党は支持者層が被っていて激しく対立していた。そんな中、TV討論で共産党議員から創価学会による出版妨害が暴露される。これが池田創価による『言論出版妨害事件』と発展し、共産党は「政教一致」等と創価学会を厳しく追及をした。こうして約4年の月日が流れた1974年に共産党支持者の松本清張からの提案で、創価学会と共産党の協議が複数回行われ、最終的に創共協定合意に至り池田と宮本は和解することになる。その内容は、【一、創価学会と日本共産党は、それぞれ独自の組織、運動、理念をもっているが、たがいの信頼関係を確立するために、相互の自主性を尊重しあいながら、両組織の相互理解に最善の努力をする。二、創価学会は、科学的社会主義、共産主義を敵視する態度はとらない。日本共産党は、布教の自由をふくむ信教の自由を、いかなる体制のもとでも、無条件に擁護する。三、双方は、たがいに信義を守り、今後、政治的態度の問題をふくめて、いっさい双方間の誹謗中傷はおこなわない。あくまで話し合いを尊重し、両組織間、運動間のすべての問題は、協議によって解決する。四、双方は、永久に民衆の側に立つ姿勢を堅持して、それぞれの信条と方法によって、社会的不公平をとりのぞき、民衆の福祉の向上を実現するために、たがいに努力しあう。五、双方は、世界の恒久平和という目標にむかって、たがいの信条と方法をもって、最善の努力をかたむける。なかんずく、人類の生存を根底からおびやかす核兵器については、その全廃という共通の課題にたいして、たがいの立場で協調しあう。六、双方は、日本に新しいファシズムをめざす潮流が存在しているとの共通の現状認識に立ち、たがいに賢明な英知を発揮しあって、その危機を未然に防ぐ努力を、たがいの立場でおこなう。同時に、民主主義的諸権利と基本的人権を剥奪し、政治活動の自由、信教の自由をおかすファシズムの攻撃にたいしては、断固反対し、相互に守りあう。七、この協定は、向こう十年を期間とし、調印と同時に発効する。十年後は、新しい時代状況を踏まえ、双方の関係を、より一歩前進させるための再協定を協議し、検討する】というもので、当初この協定は極秘裏に締結され、公明党内でも竹入・矢野にしか知らされなかったがマスコミにスクープされ、公明党や創価学会員から反対の声が上がり、秋谷会長(当時)が聖教新聞紙上で創共協定を公表した時点で死文化した。そして1980年には、創価学会による宮本賢治自宅盗聴事件が発覚し創共協定は更新されずに終了した。この約10年の間、共産党は律義に「いっさい双方間の誹謗中傷はおこなわない。」ということを守り創価学会攻撃を控えてきた一方で、創価学会側は池田が、「これまで通りやっていい」と支持をだしていたと、矢野絢也は証言している。つまり池田はまんまと共産党を騙して学会批判を抑え込むことに成功したわけだ。こうした策謀と裏切りこそが池田大作の真骨頂だろう。共産党の宮本をペテンにかけるとは池田の詐欺師ぶりは天才的である。それにしても、竹入・矢野時代までの公明党は池田の決定に反対するという力がまだあったことに驚かされる。平成になり石田幸四郎以降になると公明党は完全に池田創価の権力に屈してしまったのが残念だ。もっとも、創共協定に反対されてメンツを潰された池田は、竹入・矢野を筆頭に当時党内で池田の決定に反対した議員を全て粛清した(矢野証言)らしいから、それ以降は公明党議員は池田に逆らえなくなり、池田が死んだいまでも創価に実権を握られたままなのだろう。なんとも哀れな議員たちだ。竹入・矢野のような議員が誕生すれば公明党も変われるだろうが、その土壌はもうないだろう。旧知の地元の市県議会議員の顔ぶれをみれば、組織に従順な連中ばかりだからな。そういうヤツしか議員にはしないということだろう。
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