戸田城聖2代会長は三代会長の中ではもっとも・・いや唯一信心がわかっていたと思うが、【狸祭り事件】で登山停止なるや否や御僧侶批判を聖教新聞の寸鉄に書いたりして少しばかり信心が足りなかったと感じる。戒壇大御本尊と法主上人に対しては恭順しているのだが、法主上人以外の御僧侶に対しては少し侮っていて上から目線だったのが気になる。また戸田は日蓮正宗から独立して創価を法人化したが、そこには商売人としての思惑が感じられてならない。表向きには「創価の折伏で宗門に迷惑をかけないため」と言われているが、当時の宗門内は創価の法人化に対する反対のムードがあった。【狸祭り事件】を起こしたのは、宗門内の創価法人化反対派の僧侶に対する恫喝が目的だったともいわれている。そうした中で半ば強引に法人化したのは創価学会のビジネス化の目論見が戸田にはあったのではないかと思う。その証拠に実質的に戸田がオーナーだった大倉商事は創価学会員相手に高利貸しを行い戸田の財政を支えていた。大倉商事は創価学会員を対象に貸金をしていて、創価学会員の中には大倉商事から金を借りたくて創価に入会する人間も多数いたという。私は戸田城聖の伝記が書かれた書籍を数冊読んでいるが、戸田の生涯を俯瞰すると彼は根っからの「商売人」であり「ヤマ師」であると思える。創価学会の組織自体をマーケットとしてビジネス化するために戸田は創価の法人化に固執したというのが正解だろう。それ以外に納得がいく理由が私には見当たらない。また戸田がアルコール中毒であったことはつとに有名で当時の戸田と対談した、秋山ちえ子氏や吉田直哉氏などがその著書で彼のアル中ぶりを伝えている。その証言によれば、なみなみ注いだウィスキーを少しのビールで割って朝から飲んでいたそうで、普通の人間からすればキチガイとしか思えないような飲み方である。大聖人仏法の冥益(功徳)とは六根清浄である。急性心不全で58歳という若さで亡くなるまで戸田のアル中が治らなかったのは六根清浄の功徳を受けきることがなったという事であり、戸田の信心は足りなかったという結論になる。それでも、戸田の戒壇大御本尊と法主上人(唯授一人血脈)に対する信心は本物であった。戸田は富士日興門流の大綱に対する信心は間違ってはいなかった。残念ながら池田大作とその弟子の創価学会は戸田の信心に倣うことはできなかったが、戸田の信心の姿勢は元創価学会員の法華講員が継承している。もっとも戸田もその遺族も現在でも日蓮正宗の信徒である法華講員なのだから、池田創価に戸田の信心が継承していないのは当たり前の話ではある。戸田があと10年長生きしていれば戸田の信心は完璧なものとなってたと思われ、そうであったならば池田大作が三代会長になることもなく創価学会も正宗から破門されることもなかっただろう。戸田にとっては無念だろうし残念とそしかいいようがないが、それもまた戸田の信心が少しばかり足りなかった故の結果なのだろう。
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