創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

池田大作に仏敵認定された側近達①福島源次郎

池田創価公明党を批判したり、退会した人を創価学会員は『仏敵』と呼ぶことが多い。私は池田創価も公明も批判するどころか、学会活動をやっていたにも関わらず『仏敵』と呼ばれて組織を追われたが、一介の信徒が他者を『仏敵』などと言うのは狂っているが、池田大作に直接『仏敵』認定された側近はたくさんいる。一般会員は池田の言い分だけを聞いて彼等を仏敵・裏切者・恩知らずと罵倒するが、彼等にも言い分はある。そこで池田に仏敵認定された元側近達の反論を書いてみたいと思う。第1回目は福島源次郎。福島は1956年に日蓮正宗に入信し、1960年に創価学会に入会し翌年の創価学会職員となり、聖教新聞編集総局長、編集主幹、専務理事のほか、創価学会男子部長、青年部長、文化本部長などを歴任する。池田が三代会長に就任すると池田に心酔し、「師への帰命」、や「小説人間革命は現代の御書」などいう教学を推進した。その逸脱した教義が52路線へと発展する。52年路線の最中の1979年の福島の福岡県大牟田市での指導会での発言(通称・大牟田発言)が、宗門僧侶(後の正信会僧侶)で問題になり、池田の会長退任に繋がったことから、福島は池田会長を退任に追いやった人物として仏敵にされたのだが福島によれば、各寺院に伝達された福島発言はその大部分が言葉尻をとり文を切りとってつなぎ合わせ、内容を逆にすり替えた典型的な歪曲・捏造だったという。そして何よりも福島が落胆したのは、宗門も学会本部も彼の言い分を信用してくれなかったことだったそうだ。聖教新聞には、私の発言を宗門非難の暴言と認めた遺憾談話が理事長名で掲載されました。宗門への直接釈明の機会が一切ないままに、私の最も強調した真意は無視され、歪曲捏造された内容が事実としてまかり通ってしまったのは、じつに悲しいことでした。」(蘇生への選択・福島源次郎著)大牟田発言』後、福島は東京の本部へ召喚され約三ケ月間、福岡の自宅に帰ることを許されず本部横の桜会館(今はない)の一室で軟禁状態で宗門問題の一切の責任は自分にあり、その元凶は自分であるとの反省がまったくない」 「君の反省が足りないから、宗門問題は解決しないのだ。解決の鍵は君自身が反省しきれるかどうかにかかっている」とまで極言する首脳さえいました。その他「帰命論を勝手に説いて尊い師弟の道に泥をぬった」 「九州で本部方針を軽視した」 「先生に宗門の悪口を吹き込んで判断を誤らせた」等々、嘘実取りまぜてのあらゆる角度から、自己批判を迫られました。」(同上)とまるで共産党の査問のようなやり口で責められる日々を過ごした。そして、自己総括の詫び状を池田と理事長宛に提出させられ、同時に副会長他全ての学会役職の辞表を提出した。しかし3年後には原田副会長(現会長)から、「北條会長の生前のノートなどの 資料を詳細に調べていくなかで、宗門問題を引き起こした元凶を福島さんだと考えていたのは明らかに間違いであることが判った。申訳ない」(同上)と謝罪を受けたと福島は語っている。こうした一連の福島騒動に関して、原島崇は「福島を生贄にした」と発言している。つまり池田の発言した「会長本仏論」「人間革命は現代の御書」等々の教義逸脱は、福島が次期会長の座を狙って池田にゴマをすって言い出した事だとして、池田が保身の為に福島に責任転嫁をしたということだ。ところが創価員は、池田が福島を庇って会長を勇退したと信じている。どちらの言い分が真実なのかは読者の判断に任せるが、破門後の創価は52年路線時の逸脱した教義を全て復活させた。池田の「福島を庇った」という言い分が真実ならば、今の創価学会は仏敵である福島が次期会長の座を狙って池田にゴマをすって言い出した事を主張いていることになる。それは普通に考えればそれはあり得ない。となるとやはり原島の「生贄にされた」という発言の方が信憑性が高いといえるだろう。さて創価職員を辞任した福島はその後、創価の外郭企業である日本図書輸送に勤務し1983年3月に日本図書輸送を退職。1992年3月に蘇生講を結成し1998年8月8日死去した。享年66だった。

創価学会の退会方法(静かに創価を去るために) - 創価ダメだしブログ

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