昭和54年4月24日は池田大作が会長職を辞任し名誉会長に退いた日だ。この日の出来事について池田大作は平成11年に『嵐の4・24』と題して『随筆・人間革命』で発表した。以来、創価学会員達の間には『嵐の4・24』と言われるようになった。池田が発表した随筆の内容は(以下太字は随筆人間革命より引用)、「この日、私は、十九年間にわたって務めた、創価学会第三代会長を退き、名誉会長となった。(中略)その背後には、悪辣なる宗門の権力があり、その宗門と結託した反逆の退転者たちの、ありとあらゆる学会攻撃があった。なかんずく、私を破壊させようとした、言語に絶する謀略と弾圧であった。」で始まる。これを読んだ学会員は恰も宗門が池田を弾圧しているように勘違いするが、池田を批判していた僧侶は後に宗門から擯斥され正信会を名乗った僧侶達であり当時の法主上人であった日達上人はむしろ池田・創価を擁護していた。そもそも、池田が会長を辞任した原因は、自身の教義逸脱が発端で本尊を無許可で摸刻したのが決定打である。その背後に宗門乗っ取りという池田の野望があったことはその後の資料で明らかになっている。自分で非行をしておいて弾圧されたとは呆れ果てる。「しかし、後に退転した、ある最高幹部の不用意な発言から、その努力が、いっさい水泡に帰しかねない状況になってしまったのである。」この部分は福島源次郎の『大牟田発言』を指しているが、後に福島はこの発言は捏造であったと弁明し、原島崇は池田創価が福島を生贄にし福島に全責任を被せようとしたと証言している。「「私が辞めれば、事態は収まるんだな」沈痛な空気が流れた。やがて、誰かが口を開いた。「時の流れは逆らえません」沈黙が凍りついた。が胸に、痛みが走った。」この部分が、この随筆で最も有名な一節だ。その後に続くのが、池田の会長辞任に同意した幹部達への批判と、宗門に対する非難である。因みのこの時に池田の周辺にいた幹部は、北条・秋谷・和泉・辻・山崎(尚)・野崎(勲)の6人で、「時流に逆らえない」と言ったのは辻だと言われている。池田は、裏切り者の執行部と山崎正友、宗門によって会長職を追われたと主張していて、現在の学会員もそう認識している。しかし前述したように、池田が会長職を辞任した原因は、あくまでも池田の教義逸脱や宗門に対する強引で傲慢な言動、本尊摸刻の大謗法が原因なのである。日達上人との交渉役を山崎に一任したのも池田が直接日達上人と交渉できなかったからだ。戸田会長は法主上人と直接対話ができる信頼関係を築いていたが、池田はそれまでに日達上人に対して見せてきた傲慢不遜な言動が原因で不信感を持たれていたので直接日達上人と話すことができなかったのだ。そんな自分を微塵も反省することなく、全て他責にし、我田引水の随筆を平気で書けるところが池田のサイコパスっぷりを示している。イジメの加害者が被害者になりすます事が多々あるが、池田もそんなイジメの加害者と同じように被害者ヅラしているのである。池田が当時の創価執行部を「裏切り者」呼ばわりするのは、「一緒に宗門を乗っ取ろうと約束したのに、それを裏切って宗門側に寝返った」ことに対して「裏切り者」と言っているに過ぎない。宗門乗っ取りを画策した池田こそが「裏切り者」なのである。最高幹部の裏切りで宗門乗っ取りに失敗した池田だったが、平成の宗門攻撃の際には、裏切者を出すことなく宗門からの独立を手に入れることに成功した。一度は池田を裏切りながら、池田有利と見るや服従する最高幹部の面々は、池田以上にゲス野郎であることは間違いないが、そんな連中しか側近にいなかったのは池田の不徳の致すところだろう。
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