いわゆる52路線で池田大作・創価学会が犯した謗法は沢山あるが、極めつけの大謗法は、昭和48年頃より、学会や池田個人に下付された紙幅の御本尊を勝手に模刻(板曼荼羅)して会員に拝ませた『本尊摸刻事件』だろう。当時、池田創価が摸刻した本尊は、①学会本部安置本尊(大法弘通慈折広布大願成就・六十四世日昇上人、S26・5・19) ②関西本部安置本尊(六十四世日昇上人。S30・12・13) ③ヨーロッパ本部安置本尊(六十六世日達上人、S39・12・13) ④創価学会文化会館安置本尊(六十六世日達上人、S42・6・15) ⑤学会本部会長室安置本尊(六十六世日達上人、S42・5・1) ⑥アメリカ本部安置本尊(六十六世日達上人、S43・6・19) ⑦賞本門事戒壇正本堂建立本尊(六十六世日達上人、S49・1・2) ⑧お守り本尊(池田大作授与・六十四世日昇上人、S26・5・3)の8体で、このうち①が後に日達上人が許可され、現在創価学会の本部に安置されている本尊だ。その他の7体は総本山に納められ、池田創価の謗法を後世に残す意味も含めて現在も総本山に保管されている。当時、創価学会は辻副会長が 「不用意に御謹刻申し上げた御本尊については、重ねて猊下の御指南を受け、奉安殿に御奉納申し上げました」 と、池田創価が無許可で本尊を作ったことを正式に発表している。こうした事実にもかかわらず破門後の創価は、「学会が宗門を守ったのであって、学会には一点も非がなかった」(辻)など史実を曲げたデマを吹聴している。秋谷会長(当時)は摸刻の経緯として、「昭和四十九年に、学会は創価学会常住の御本尊はじめ数体の御本尊を、将来にわたり大切にお守りするために板御本尊に謹刻させていただきたいと、時の日達上人に願い出たのです。」と説明し、摸刻作業をした赤沢朝陽の社長も口裏を合わせるように、「昭和四十九年秋ごろに日達上人は数体の御本尊の模刻を承知されていた」と発言しているが、後日、⑦の摸刻本尊「ホゾ」(台座に差し込む部分)に「昭和四十九年四月 朝賜」と、彫刻した年月がはっきり彫られていたことが発覚した。ホゾの部分は御本尊の相貌の彫刻を終えた後の最後の工程で、池田大作が一番最初に「学会本部の御本尊を板本尊にしたい」と願い出たのは昭和49年9月だから、それよりも5か月も前に既に彫刻を終えていたのである。これが、池田創価が無許可で板本尊を作成していた動かぬ証拠であり事実である。

また秋谷は、「日達上人からは、「御本尊は受持した人のものですから、信心の上で大切にするのであれば、板御本尊にするのは自由です。他の人がとやかく言うものではありません。紙幅を板御本尊にするということは、以前からもあったことです。特段、問題にすることではありません」という趣旨の、お話があったのです。これが真相です」と発言しているが、これは秋谷の作り話であることは明白だ。何故なら、「守り本尊」を板本尊にすることなどあり得ないからだ。「守り本尊」とは身に携えて守護する御本尊で安置して拝ませる本尊ではない。その「守り本尊」を板本尊にすることを日達上人が許可するはずがない。また板本尊について、日応上人は「我が山において本尊を彫刻するは、宗祖・開山より嫡々相承の深意あるによる。」(弁惑観心抄)と御指南されていて、当然日達上人もそれを承知してるのだから、「板御本尊にするのは自由です」などという訳がなかろう。死人に口なしとばかりに自分たちの大謗法の罪を、日達上人になすり付けるとは、池田創価の連中は度し難いクズだ。創価学会員は創価執行部のウソを鵜呑みにして事実の検証や物事の道理を考えるという、人としての当たり前の能力を失っている。世法の事であれば自分が損をして馬鹿にされるだけで済むが、仏法はそうはいかない。謗法と言う大きな罪業を背負い無間地獄に沈むのだ。創価学会員はもう既にその状況にいる。それを回避するためには、正宗に戻り戒壇大御本尊に懺悔する以外に道はない。
創価学会の退会方法(静かに創価を去るために) - 創価ダメだしブログ
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