創価学会史上、最大にして最強の仏敵といえば、なんといっても山崎正友(山友)の右に出る者はいないだろう。創価学会が仏敵認定するのは退会後に創価批判をする人々であって、なかでも創価学会の内部のことを暴露する人物が攻撃をされる。最近では長井秀和や正木伸城、少し前なら元職員3人組が思い浮かぶ。そういう人物を攻撃するのは彼等の言っている事が真実だからだろう。とにかく池田創価の真実を公表されたくない一心で彼等を誹謗中傷してまで「嘘つき」に仕立て上げる。別の角度からみれば、創価はそうした仏敵を恐れているのである。その意味で、山友は池田大作と創価学会が最も恐れた男なのだ。山崎は原島などの表舞台に立った連中と違い、池田創価の「汚れ仕事」の中心者として暗躍していた人物で、池田創価が最も世間に知られたくない秘密を握っていた。だから最も激しく攻撃されたのである。山友は京大法学部の出身で、副理事長や創価学会の元顧問弁護士などの役職を務めた。『新・人間革命』では「山脇友政」として書かれている。「宮本顕治宅盗聴事件」「新宿替玉事件」や、立正佼成会への分裂工作を主導した。また「月間ペン事件」では当初は創価学会側の弁護士として隈部大蔵を逮捕させ、池田大作の法廷出廷を阻止するための裏工作をしたのも山友である。(後に造反)
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52年路線の時は池田から依頼され、宗門(日達上人)と創価学会の交渉役をしている。この52路線の過程で山友は反池田創価になり原島と共謀し創価内部情報を週刊誌等にリークした。これにより昭和55年に除名され、原島同様に正信会に移籍し創価と宗門双方を攻撃する。宗門に対しては日顕上人の相承に疑難を吹っかけて日顕上人を誹謗した。今の正信会・創価・顕正会の相承誹謗は全て当時の山友の説が出所だ。創価は自分たちが「稀代のペテン師」と呼ぶ山友の言説を使って相承否定しているのだからお笑いである。また、山友は創価の諸問題をネタに創価学会に3億円を要求しそれを受け取ると、さらに5億円を要求したが、この行為によって恐喝罪で逮捕され、平成3年2月に懲役3年の実刑判決を受け栃木県の黒羽刑務所に収監され、同時に弁護士資格を剥奪されている。平成5年4月27日に仮出所し平成5年10月に刑期満了となった。この件については、なぜ最初に創価は山友に3億円を支払ったのか多くの謎が残るが、それについては別の機会に書きたいと思う。その後、平成7年に正信会を脱会し、日顕上人に赦され日蓮正宗の法華講員といて復帰した。正宗に帰伏したのちも山友は創価学会批判の執筆活動を続け、書籍の出版や妙観講の機関誌『慧妙』、『週刊新潮』などの週刊誌で発表を続け、平成20年12月29日に急性腎不全のため72歳でこの世を去った。その際に創価学会員達は、遺体を乗せた救急車や葬儀社の車を深夜まで10台もの車で追跡したり、「地獄行き」などと書き殴った怪文書を出し、1月5・6日の葬儀当日には、嫌がらせの電話や電報を会場に入れ続けたと妻の山崎桂子さんは語っている。こんな信徒を生みながら人間主義などとのたまう創価学会には呆れるばかりだ。私は山友の証言を読む時は注意を払っている。個人的な感想を真実であるかのように語る部分が結構あるから鵜呑みにはしない。原島崇や矢野絢也その他の創価員の証言と当時の状況などを照らし合わせながら検証しているが、大筋では創価より山友の主張の方が道理に合っていて信憑性が高い。また、創価学会による数えきれないほどの罵詈雑言や、時には命の危険を感じるほどの嫌がらせを長年受けたきたことは、その理由の如何を問わずそれだけ創価学会と戦ってきたのは事実であり、山友によって池田創価の闇が世間に認知された功績は大きい。そして過去の自身の大謗法を懺悔し最後は戒壇大御本尊の許に戻ったことは彼の人生の一番の幸運であった思う。
創価学会の退会方法(静かに創価を去るために) - 創価ダメだしブログ
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