いわゆる、雪山童子と申せし人は、身を鬼にまかせて八字をならえり。(白米一俵御書)
今回は、雪山童子の仏法説話です。知っている人も多い有名なお話です。雪山童子の説話は、『松野殿御返事(十四誹謗抄)』に日蓮大聖人が詳しく書かれていますのでぜひ読んでください。雪山童子は釈尊が過去世に修行をしていた時の話です。むかし雪山(現在のヒマラヤ)で修行をしていた雪山童子という修行者がいました。彼はバラモン教の全てのウェーダーに精通していましたが、ウェーダー以上の教えを探し求めて修行を続けていたのです。そんなある日の事、彼の耳にどこからともなく不思議な声が聞こえてきのでその場所に行ってみるとそこには羅刹(鬼神)がいて、【諸行無常・是証滅法】という偈頌を唱えていました。童子は、これこそが自分が探し求めていた真実の法であると確信しました。しかし羅刹が唱えたのは最初の半分(半偈)だったので、童子は羅刹に残りの半偈を教えてくれるように懇願しました。すると羅刹は「俺はここ数日間何も食べていない。オマエを食べさせてくれるなら残りの半偈を教えてやる」というのです。その言葉を聞いても童子は全く怯む事もなく平然と「我が身を布施として差し上げます。いつか死ぬのだから禽獣に食べられても何の徳も積めないのであれば、いまこの身を捨てて真理を聞ければそれは本望です」と答え、それを聞いた羅刹は、【生滅滅已・寂滅為楽】と残りの半偈を語りました。童子はこれこそが自分の求めて続けていた答えだと感動します。そして自分が死んだ後も人々が知ることができるように、石や木に羅刹の唱えた言葉を刻みつけると、高い木の上に昇り羅刹に向かって身を投げたのです。しかし実は羅刹は童子の求道心を試すために鬼に姿を変えていて帝釈天だったのです。帝釈天は童子を優しく受け止めたのです。さて、日蓮大聖人は『松野殿御返事(十四誹謗抄)』でこの雪山童子の説話を引用した後で、「しかれば、雪山童子の古を思えば、半偈のためになお命を捨て給う。いかにいわんや、この経の一品一巻を聴聞せん恩徳をや。何をもってかこれを報ぜん。もっとも後世を願わんには、彼の雪山童子のごとくこそあらまほしくは候え。誠に我が身貧にして布施すべき宝なくば我が身命を捨てて仏法を得べき便りあらば身命を捨てて仏法を学すべし。」と御指南されています。現代に生きる私達は命を捨てずともいつでも仏法を学ぶことが出来ます。御講に参詣すれば御住職の法話を聴聞できるし、大白法には法主上人の御指南も掲載されているし、御書や法主上人の書籍も購入できます。それなのに御指南や教学を学ぼうとしない信徒も大勢います。大聖人が後世の為に書き日興上人が残してくれたのが御書であり、御歴代の法主上人が御述作を残してくれたのも、後世の私達を想ってのことです。それらを学ばないのは求道心に欠けていると大聖人にお叱りを受けるような気がします。また私達が折伏するのは、雪山童子が石や木に偈頌を書き残した事にも通じるのではないでしょうか。雪山童子の精神を手本に行学の二道に精進したいと思います。
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