「数学」とは「数の学問」ですが、今回は「数」について昔学校で学んだことを復習します(笑)ひと口に「数」といっても色々な種類があります。「1・2・・」というようにモノの個数や順番を表したのが「自然数」で一番最初にできた数字でこの自然数に「0」とマイナスを付けた自然数を加えたのが「整数」です。「分数」は割り算の答えとして考案されました。例えば1÷3という計算は整数の中に答えがないので「3分の1」という名前を与えたのが「分数」です。この「整数」と「分数」を合わせて「有理数」といいます。「小数」には小数点以下が有限の「有限小数」と、無限に循環する「循環小数」があります。そして√2のように分母・分子を整数で表せないものや円周率(π)など小数点以下が循環せずに無限に続く数がありますがこの√やπを「無理数」といいます。簡単に言うと分数で表せないから無理やり記号を使ったのが「無理数」です。そしてこの「有理数」と「無理数」を合わせたものが「実数」です。これらの「実数」を順番に並べていくと数直線上に隙間なく並びます。0と1との整数の中間には無限の数が存在するわけです。「有理数と有理数の間には無限の無理数が存在する」ということです。逆に言うと全ての実数は数直線上に存在するということになります。このように「数」には最小も最大もないので始まりも終わりもないのです。これは日蓮大聖人仏法の無始無終と同じです。大聖人の仏法を数学的に説明すると、久遠の大昔に成仏した釈尊は「1」阿弥陀仏などは「3」インドの仏陀は「5」とします。これらの仏は全て直線状に存在するひとつの数字に過ぎません。それに対して本仏とは「実数全体」なのです。「1」も「3」も「5」も全て実数の一部分であり実数から離れて存在しないのです。仏教では宗派により様々な仏を立てますが決して実数である本仏を超えることも離れることもできないわけです。日蓮正宗の信仰はこのように全ての仏の根源を信仰する宗教です。また数直線を「過去・現在・未来」捉えると私たちの人生は数直線上を進んでいるようなものです。現在は無限の過去からの続きであり無限の未来へ続いていくのです。現在は過去や未来と切り離されることはない数字のようなものです。ですから実数全体である御本仏に対する信仰をする唯一の宗派である日蓮正宗が最も道理に合う宗派であると私は思っています。釈迦・阿弥陀・薬師等々の仏にもそれなりの功力はあるかもしれませんが本仏の一部分の姿でしかありません。その一部分の仏に執着して本仏全体を棄ててしまう事を大聖人は「謗法」と言われているのです。数学者の多くは数字や方程式、図形(幾何)に神や時には悪魔など宗教的神秘を感じる人が多い。数学という客観的で理論的な学問がその対極と思える宗教に通じることは実に興味深いです。私は数学が宗教に帰結するのは当然のことだと思っています。
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