創価学会員に多大な影響を与えた指導をした大幹部といえば、福島源次郎と河合一が双璧ではないだろうか。福島源次郎は第一次宗創問題で更迭されその後退会し日蓮正宗に移籍、池田創価批判を展開し創価からは『第一級仏敵』に認定されたが、福島の提唱した【会長(池田)への帰命】【人間革命は現代の御書】といった指導は現在の創価教学の骨格になっている。一方の河合一は、『河合師範』と学会員に親しまれ多くの学会員が河合師範の指導に接している。私も河合師範の地元のポンコツ幹部の話とは月とスッポンの素晴らしい指導に、「さすがは師範といわれる人は違う」と感動したものだった。そんな河合一は数冊の著作を出版しているが、私が所有している河合の書籍は『暗黒の富士宗門史: 日顕宗の淵源を切る』だ。当時創価広宣部だった私は宗門対策の為にこの書籍を購入したのだ。当時は日蓮正宗の歴史に対してほとんど無知だった私はこの書籍を読んで対法華講(宗門)対策とした。それから数十年の月日を経て日蓮正宗に移籍した私はそれまであまり学んでこなかった正宗史を本格的に学習した後に再度『暗黒の富士宗門史: 日顕宗の淵源を切る』を読みあんなに素晴らしい信心指導をしていた人間と同一人物の言とは思えない河合の軽薄でインチキな教学に失望した。師範なのだから宗門史は事実を書くべきなのだが、この書籍は虚偽は書いていないが創価にとって不都合な事実を故意に隠蔽していることは明白で、例えば江戸時代の金沢法難の記載も日因上人と加賀信徒の交流や加賀信徒の戒壇大御本尊や日因上人に対する恋慕と信頼の事績には全く触れずにあたかも大石寺が加賀信徒を見捨てたようミスリードしている。伊那法難・尾張法難の記載も概ね同じレトリックである。『暗黒の宗門史』などと謳っているが河合が故意に宗門史を暗黒に脚色した書籍だ。もっともこの書籍は河合が書いたというよりも、怪文書・地涌のダイジェスト版というような中身で、教学師範の肩書が聞いて呆れるほどの杜撰で稚拙なお粗末な内容で、今どき河合のこんな戯言を本気で富士宗門史だと思っている創価員がいるとしたらとんだマヌケで無知性な莫迦である。一方でこの書籍には教学師範らしい記述もなくはない。例えば「民衆が不惜身命の信心を貫いた姿をご覧になった大聖人は、時が来たことを感じられて、弘安二年十月十二日に、出世の本懐である『一閻浮提総与の大本尊』を顕された」(P.35)、「大聖人より日興上人ただ一人へ相伝されたのは、弘安二年十月十二日に図顕された本門戒壇(一閻浮提総与)の大本尊なのです。」(P.72)、「この御本尊こそ大聖人の出世の本懐であり、化道の究極であり、広宣流布の根本となるのです。その大御本尊が、そのまま日目上人に相伝され、以来七百年の間、護持されてきたのです。」(P.72)と流石は教学師範らしい正しい記述をしている。果せるかな、池田創価は2014年に河合のいう出世の本懐であり、化道の究極であり、広宣流布の根本である弘安二年十月十二日に図顕された本門戒壇(一閻浮提総与)の大本尊を受持しないと言って棄てた。この書籍を河合が書いたのは平成9年だから破門後であり創価学会員の登山を添書方式に変更した後である。従って創価の「大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません」という説明が単なる詭弁であることを証明している。同時期に河合は「御本尊に認められるような信心をせよ」と指導している。河合は根本の本尊は戒壇大御本尊であると指導しているのである。現在の学会員は「御本尊に認められる」どころか「戒壇大御本尊を認めない」という大慢心を起こしているのである。そんな学会員のなかにはいまだに河合の指導をありがたがって河合のインチキ宗門史を信じている者が大勢いるが、戒壇大御本尊を不受持では河合指導に反していることになる。宗門攻撃に都合のいい河合の話だけを切文して宗門史を誹謗するという姑息など通用しないのである。今現在、河合が生きてるか死んでるか知らないが戒壇大御本尊を棄てた創価と自分が言ってきた指導の齟齬をどう思っているのか本人の口から聞いてみたものである。しかし四半世紀前に宗門破折の為に購入した書籍が今では創価破折に役に立っているとは不思議なものである。創価の本尊義がいかにいい加減であるか河合のこの書籍だけ読んでも分かるというものである。ひとつだけ書き加えるとしたら池田大作が生前に「戒壇大御本尊を受持の対象にしない」と自らの口で発言したことはない。だから池田が本当はどう思っていたのかその真相は闇の中である。そして戒壇大御本尊をどう捉えるかは学会員の中でも様々なようだ。
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