創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

創価学会常住御本尊の記念日?

先日の聖教新聞に、「5月19日は創価学会常住御本尊の記念日」と書いてあった。

俺が活動家時代は無かった記念日だが、いつの間にかまた「記念日」が増えたんだなぁ。

記念日だらけで大変だ。近い将来、大作センセの命日も増えるだろうし(笑)

どんな記念日が聖教新聞を読んでみると(以下太字は聖教新聞より引用)

1951年(昭和26年)5月3日、第2代会長に就任された戸田先生が、仏意仏勅の広宣流布の団体である創価学会の「金剛不壊の大車軸」として発願。同月19日に認められたことに由来します。

だそうだ。戸田会長が願い出た創価学会常住本尊を書写(認めた)したの記念日。

創価らしく主語を意図的に書かないからなのか、この文章だけ読むと「戸田会長が書写(認めた)」したように誤読する人もいそうな文章だが当然のことながらそんなことではなく、戸田会長が時の法主である日昇上人に請願し日昇上人が書写されたのが本尊だ。

現在、創価本部にある本尊は正確にはこの日昇上人書写の本尊を大作センセが勝手に謹刻した板曼荼羅を日達上人が追認した板曼荼羅である。大作センセの本尊無断禁謹刻事件についたは機会があればまた書くがとにもかくにも戸田先生大石寺法主にお願いをして日昇上人から下賜されたのが「創価学会常住御本尊」である。

授与書きには「創価学会常住」とあり、脇書には「大法弘通慈折広宣流布大願成就」と書かれているので「慈折広布の御本尊」とも呼ばれている。会員に販売しているカラコピ本尊は授与書きを消しているではないか?と批判すると「授与書き」は御本尊と無関係な無意味なモノだ。といいつつ授与書きに書かれている「創価学会常住」という文字を取って記念日としているとは相変わらずのダブスタである。

さて、記事を読み進めていくと、

腐敗堕落した日顕宗は、万人平等を説く仏法に背き、“僧が上、信徒が下”などと、衣の権威で学会員を隷属・支配しようとしました。さらに、広宣流布の団体である学会の破壊を企み、「C作戦」発動直後の1991年(平成3年)には、学会員への御本尊下付を停止しました。

また、宗門は、“法主は御本尊と不二の尊体であるから信伏随従せよ”と前代未聞の邪義を唱えました

などと相変わらず宗門へ印象付けの悪宣伝を繰り返してる。日蓮正宗戒壇大御本尊を日蓮正宗の御歴代である日昇上人が書写した本尊をいけしゃあしゃあと自分達の本部に安置し、しかも「記念日」に設定しながらその同じ舌先で大御本尊を否定し、血脈相承を否定し宗門を罵倒しているのである。本来であれば創価が退会者からカラコピ本尊を回収するのと同様に、破門された時点で正宗へ返納すべき本尊を返納するどころか「創価学会の根本の本尊」などといって嘯いているのだから、盗人猛々しいとはこのことである。「創価常住本尊」を下賜できたのは何故か?それは戸田会長が「戒壇大御本尊」を信じ、正宗の教義・化義を広め、正宗の外護に努めることを法主上人に誓ったからである。「御本尊は旗印」というが、何の旗印かと言えば「大御本尊を信仰の根本にする日興門下」の旗印であって、それを否定する邪教邪宗の徒の端印ではないのである。

創価常住本尊を書写した日昇上人は明確にこうご指南している。

◇「戒壇の大御本尊の御内証を、帯し奉って不肖日昇六十四世の法主として、御本尊様に信仰をそめておしたため申しあげている御本尊でございまする」と。

創価常住の本尊も、戒壇の大御本尊の内証を認めている」のである。

つまり、創価常住本尊の実態とは「戒壇大御本尊の内証」なのである。

ところが創価は「戒壇大御本尊」は受持しない。と教義変更したのである。

戒壇大御本尊」を受持しないのであれば、その内証を認めた「創価常住本尊」も受持しないということになる。

一体、どのような理由で「戒壇大御本尊」は不受で、その内証を認めた「創価常住」は根本本尊として受持するのか。

内証以外の何をもって「創価常住本尊」を受持するのか?

それこそ「単なるモノ」であって、「単なるモノ」を創価根本本尊とする理由は何なのか?

また血脈相承否定しなら血脈相承を受けた日昇上人書写の本尊を根本にすることは法主に信伏随従しているのではないか?

日昇上人は大御本尊の御内証を所持していると戸田会長は信じていたから「創価常住本尊」を願い出たのではないのか?

戸田会長は日昇上人に信伏随従していなかったくせに「創価常住本尊」を願い出たのか?

だとしたら僧侶が上ではなく、上から僧侶を見下していたのは戸田(信者)のほうではないか。

こんな矛盾だらけの創価の主張など、教学なんて知らくても道理で十分理解できるとおもうのだが、

それを理解できずに、或いは道理に合った説明できずに、自語相違を真顔で主張するから

創価脳」「莫迦ツドウカ」「創価狂」などと言われるのである。

さて聖教の紙面には、

今も、日顕宗の坊主や信徒は、学会員を狙って、言葉たくみに言い寄ってきます。私たちは日顕宗の邪義を打ち破り、一切の魔を断固、粉砕していきたい。

などと随分と勇ましいことも書いてあったが、私たち(創価民)が富士門流の教義を打ち破ったなどといことはあっただろうか?

リアルでもネットでもそんな勇ましい姿は目撃したこともないし、俺自身も本ブログでもリアルでも創価民に富士門流の教義を打ち破られた記憶は一切ない。

打ち破り、粉砕どころかまともに法論が出来る創価民すらいない。

逃げまくって遠くの方でイキるのが創価民の習性だろう(嗤)

法門・法義の話はサッパリで、新報だの地涌だのフェイクだのといったお手盛りの情報を垂れ流して印象操作するくらいしか出来ない、出来損ない創価民ばかりだ。そもそも機関誌で「日顕宗」などと言っている時点で単なる印象操作である。

ダーハラ怪鳥をはじめとする上層部ですらこの程度なのだから、在野の「罵詈活」の程度など知れている。

ともあれ、大御本尊を捨てた創価民にとって「創価学会常住御本尊」など、何の内証もない単なる板切れである。

まぁ、本尊が何たるかを理解できない創価民にとっては「内証」なんてどうでもいいのだろうが

そんな連中が「記念日」とか言っている姿は、やっぱり「狂ってるなぁ」としか思えないわけだ。

そして一人でも多くの会員さんがその「奇怪さ」に気づけばいいと思う。


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