「創価学会」の創価とは「価値創造」という意味だが、この「価値創造」とは初代会長である牧口常三郎の学説『価値論』が出自である。私は『価値論』は創価男子部時代に一度そして数年前にもう一度読んだがこの牧口の『価値論』にこそ創価謗法の萌芽があると思っている。否、牧口を初代会長というなら最初から創価は日蓮大聖人の仏法とは異質の異流義だったといえよう。知ってる人も多いだろうが、牧口の『価値論』はカントの『価値論』である【真美善】に対し【真(理)】を【利】に置き換えた学説である。真理というものは客観的な真実(または虚偽)の存在(対象)で、価値とは主観的であり対象との関係性において創造されるものであるので真理自体は価値でないというのが牧口の『価値論』のベースの論理である。要するに真(理)は何も創造しないので価値ではないというわけだ。この学説自体は間違いであるとは思わないが、この価値論をベースにして大聖人の仏法を解釈し『価値論』を広めることが広宣流布になると思ったことが牧口の誤りである。牧口哲学を広めることは広宣流布と無関係だからである。牧口が教化親の三谷素啓と絶交したのは三谷から価値論は大聖人仏法ではないから価値論を使って折伏してはいけないと注意されたことに牧口が腹を立てたからである。では牧口の『価値論』のどこが異流義なのかといえば多々ある。例えば価値は発見・創造されるものという定義だが仏法とは本有無作なのだから発見するものでも創造するものでもない。牧口の論説に従えば仏法は無価値となる。しかし何よりも牧口が間違っているのは本尊義である。『価値論』で「この本尊は仏法の最高理論を機械化したモノ」と牧口は述べているがこの本尊義こそ大間違いなのである。牧口は天台大師の理の一念三千を大聖人が本尊として顕したから大聖人の御本尊は事の一念三千の当体だと思っていたようだが、いつもいうように「理の一念年三千」を図顕化したから事と呼ぶのではなく大聖人の御本尊は「事の一念三千」を事(本尊)として顕したから事の一念三千の当体なのである。理を事で顕してもそれは「理」なのである。牧口が何故こんなにも大聖人の仏法に無知だったかといえば、自説に執着して正宗の御僧侶から謙虚に仏法を学ぶ姿勢がなかったからである。「計我」「浅識」「不解」の謗法を牧口は犯していたのだがそれすら分からなかったのである。とうぜん出獄以前の戸田城聖も同じである。創価は戦時中の正宗の神札問題を取り上げては、牧口は正・正宗は邪というロジックを会内に広めているが神札問題の以前から牧口は謗法者なのだ。大聖人の仏法において謗法者が「正」になることはない。神札問題と牧口常三郎の思考・信仰についてはまた別記事で書くがいずれにしても牧口の無知による大聖人仏法に対する誤謬は戸田が後年、価値論を「摧尊入卑」「九重の劣」と批判した通りである。しかして、この初代牧口の間違った言動はそのまま今の創価に受け継がれている。「本尊は宇宙の法則を図顕化したもの」「本尊は幸福製造機」「功徳至上主義」「池田大作の思想を広める」「公明党を支援することが広宣流布に繋がる」などという指導と共に血脈相承の法主上人から仏法を学ばず独学の己義を構えそれに執着する。まさにいまの創価は牧口の当時の思考・言動と瓜二つでなのである。つまり創価の謗法の源泉は創価初代会長の牧口常三郎にあり、創価はその設立当初から異流義の謗法団体だったわけある。出獄後の戸田が法主上人より正しい大聖人仏法を学び信じ一時正流になったものの、池田時代になり元の異流義に戻っただけの話である。ただし、そんな草創からの異流義団体が大聖人仏法の正嫡を名乗ることは許すことができないから破折するのである。冒頭に書いたが「創価」という名称自体が大聖人の仏法ではないと暗に主張しているのである。いや、大聖人仏法どころか仏法ですらない牧口常三郎の『価値論』を根本に大聖人の仏法を取り込んだ、【まぜるな危険!】の異流義団体が「創価」学会である。
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