久しぶりに元創価職員3人組のブログを読んだ。
というのも最近彼らが「大御本尊を信仰の対象から外した創価の教義」を批判しているということを知ったからだ。
ようやく彼等も多少は「信心」について真摯に考えることができるようになったのかと思ったのだが、
ヤツラはやっぱりな~んも分かっていない単なる糞ガキだったことがよくわかった。
記事のによるとヤツラの座談会の参加した会員さんから2014年の創価の教義変更について創価執行部への糾弾の声が上がったらしい。
(以下太字は3人組ブログからの引用)その会員さん曰く。
教義変更後に書かれたこの随筆には、『六大秘法』の一つである『法本尊』という言葉が、用いられているんです。 ということは、“学会本部として用いないこととした『六大秘法』を、池田先生が用いている”という矛盾が生じているんです。
大作センセは「法本尊」の言葉を使っているのに「六大秘法」用いないと言った本部は間違っている。ということだそうだ。
くだらなすぎて固まってしうが、3人組はそこから「今の創価執行部は間違っている」と本部批判を始めた。
ところが「「創価学会の教学を根底から覆す『教義改悪』を行なった学会本部」に対する提言」と題する記事の内容の酷いこと。
「大御本尊根本に教義を戻せ」といっている割には大御本尊に関する御書の引用はなく
「六大秘法」などど言っている割には日寛上人のご指南も皆無で
ひたすら大作センセの詐欺まがいのスピーチを引用している駄文だ。
コイツラの態度を見ていると、「大御本尊」は「法本尊だが、「人本尊は大作だ」と言っているようである。
「六大秘法」を口にしながら「一大秘法」を知らないとはとんだマヌケどもである。
「等しく『本門の本尊』である。」としておきながら、大石寺にある「弘安2年の御本尊」だけは「受持の対象としない」と特筆しているのです。 その目的は、「大石寺のみを切り離す」ということに他ならない。
などと創価本部を批判しておきながら同時に
日蓮大聖人の不二の弟子・日興上人は、富士大石寺を建立し大聖人の信心を護り抜かれました。しかし、腐敗・堕落した坊主らによって、日蓮仏法は700年にして白法隠没せんとしていた。
などと大石寺や日顕前法主をはじめ宗門の僧俗を腐敗・堕落などといい大石寺を「謗法の地」などと書いているのである。
「白法隠没」ってなんなん?「白法」ってのは釈迦仏法のことで大聖人仏法は大白法だ。その大白法が隠没するなんて大聖人が一体いつそんなことを言っているのか?それともコイツ等は釈迦仏法と大聖人仏法の違いさえもできていない無教学のアンポンタンなのか?はたまたこのアンポンタンこそが「池田教学」というものなのか?どっちにしてもこんなアンポンタンに大御本尊を何たるかなどと理解できているとは到底思えん。またその莫迦さ加減に輪をかけたように
初代牧口先生の一念によって、日蓮仏法は護られ現代に蘇った。
なんて言っている。おいおい、一体いつ大聖人仏法が無くなったのだ?「蘇った」というからには大聖人仏法が「無くなった」時期があったということだがそれは一体いつからいつまでなんだ。牧口ごときの信心が全く分かっていなかったジジイに一念で大聖人仏法がどうにかなるとでも思っているのか?牧口のジジイの一念ごときとご本仏の一念を同等だと思っているのか?ああ?どうなんだアンポンタンのクソガキ3人組さんよ。さらに言うにことかいて
創価三代の師匠が死にもの狂いで創られた創価学会の伝統教義を、根底から覆す破壊といってもよいものである。
とは何事だ。「大御本尊根本」という教義が創価三代の伝統教義だと?創価三代会長が創ってきただと?フザケるにも程がある。
「大御本尊根本」の教義とは我が日興門下の伝統教義でその教主はご本仏日蓮大聖人であり、700年間死に物狂いで守ってきたのは日興門流すなわち日蓮正宗の僧俗であってお前達創価ではない。大御本尊根本とは創価如きの伝統教義などでは断じてない。お前達の教義は大作根本であり、教主は大作だろうが。他人様の教義を勝手に自分のモノにし他人様の功績を自分の功績にするその厚顔無恥さは、まさにオマエたちの師匠である大作センセと同じだな。
要するにこの元創価のガキどもは、大本尊を自分達の仲間を繋ぎとめる手段として、
また創価執行部に対する攻撃のタマとして利用しているに過ぎない。
私利私欲のために大御本尊の名前を使っているだけだ。
そんなクソ野郎の発言を俺は日興門下として看過できないのだよ。
いいか、ガキども。大御本尊はお前達にはなんの関係もないのだから容易くその名を口にするのではない。
「大御本尊」はオマエ達クソガキ3人組にも、オマエ達が批判する創価執行部にも全く無関係な存在なのである。
オマエ等と創価執行部が確執していがみ合うのはオマエ達の勝手にすればいい。
でもな、オマエ達となんの関係もない「日蓮正宗」の信仰の根本である大御本尊を
オマエ達の政争の具に利用するんじゃねぇよ。お前らは謗法どうして勝手にいがみ合ってりゃいいんだよ。
そもそもオマエたちのいう「大御本尊根本」とは具体的にはどのような信心なんだよ。
大本尊のおわします大石寺を謗法の地といい、大本尊にお目通りすることはもちろんご供養のひとつもできないで
どうやって「大御本尊根本」の信心をするつもりだ?
だた会則とご観念文に「大」御本尊と書いてあればそれだけで「大御本尊根本」の信心になるのかよ?(嘲笑)
そのことについて詳しく書けよ。具体的な「大御本尊根本」の信心についてひとつもかいてね~じゃね~か。
足軽会だかなんだか知らね~が、お前らが「軽い」のは「オツム」の方だよ。
「大御本尊根本」って言えばいいってもんじゃね~んだよ。
所詮、オマエたちも現執行部と同じだよ。大聖人仏法を利用して、私利私欲のために会員さんを騙す創価体質そのものだ。
こんなくっだらないことしてる暇があったらちゃんと労働しろよ。本当に使えないガキどもだな(笑)
会員の皆さんもよく考えてみなよ。創価執行部もこの3人組も「根」は一緒だからね。
◆恣ままに三寸の舌を振いて衆生の眼目を抜き五尺の身を養わんが為に諸仏の肝心を滅す、併ら只仏法の怨魔と為り専ら緇門の妖怪と謂う可し。(念仏者・追放せしむる宣旨・御教書・五篇に集列する勘文状)
執行部もこのクソガキ3人組も大聖人仏法を利用し純真な信仰者であるいち会員を騙し利用しているだけのヤカラだよ。
本当に「大御本尊根本」とするならば、まずはこうしたヤカラから離れることです。
そして正宗や創価云々でなくまずは自分自身の信仰態度をを見つめ直すべきですよ。
自分は心から「大御本尊根本」の信心をしているのか?自問自答すべきです。