創価ダメだしブログ

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日寛上人の御書文段の御指南⑩(法華取要抄私記)

若し御自身に、我を以て本尊とせよと遊ばされたらば、何れの人か之を信ずべけんや。此れを以て文底に秘して、文の上を遊ばされたり。されば当家の習う法門は是れなり。

 

今回のは『法華取要抄私記』から当ブログでいつも書いている「御本尊は日蓮大聖人の色心二法である」という日寛上人の御指南です。創価や身延或いは無宗教に転向した人達は、戒壇大御本尊や大聖人本仏論といった正宗教義を否定するために「御書(遺文)に書いていない」ということを根拠としますが、御書に重要な事が書かれていない理由を日寛上人がここで述べています。大聖人が御自身の事を本尊にせよと言ったならばそれを理解できない僧俗信徒が信用せず不信を起こして退転してしまうという御配慮・慈悲からなのです。そもそも御書は対機説法ですから法門法義の全てが御書に書かれているわけではありません。御書を全て読めば分かりますが法体に関する重要な法義は御書にはほとんど書かれていないのです。その理由は前述の通りです。創価は「御書根本」といいますが(そのくせ御書に書いていないインチキ教学です)、「根本」というのはベース(基礎)であってオールではありません。例えば基礎が無ければ家は建ちませんが、基礎だけを指して家とはいいません。故に日興上人は「当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝して」と遺誡され、日淳上人は「古来聖祖門下に於て御書を手にすることを知って、極理の師伝を知らずこれを忽せにするもののみを見る、此れが為に我見に堕して救うべからざるに至る、誠に嘆ずべきである」創価のような間違った「御書根本」や唯受一人血脈相承を無視した「大聖人直結」信仰の姿勢が我見・邪義に堕す原因であると指摘されています。この御指南で分かるように創価の言う御真筆と書写の本尊が全て等しいという解釈は間違っているのです。もし創価の主張が正しければ「日蓮」という仏様が、同名異体で何十・何百万人も同時に存在することになります。これは一仏一国土の仏法の基本に反します。そのような仏法に反する法門を大聖人が立てるはずがないのです。従って大聖人の色心二法の本尊とは戒壇大御本尊以外に有り得ないのです(その理由は今回は割愛します)。戒壇大御本尊を否定するというならば他にどの本尊が生身の日蓮大聖人なのか文理をもって証明すべきです。否定するだけなら猿でもできます。また「南無妙法蓮華経宇宙の法則」や「自分自身が本尊」という創価教学も全て間違いであることは今回の御指南を読めば一目瞭然です。本尊=日蓮大聖人というのが日興門流の信仰する(習う)法門なのです。この法門は唯受一人血脈相承にて師伝された大聖人仏法の文底の法門なのです。御書は大聖人の仏法における文上法門なのです。だからこそ大聖人仏法は御歴代法主上人の御指南を学ばなければ理解することができないのです。創価学会員はこの御文をよく理解しなさい。大聖人仏法では法体に関する法門は御書には書かれていない。何故なら信徒が理解できずに不信を起こすから。「戒壇大御本尊の事は御書に書いてない?」そんな当たり前なことすら分からないで大聖人直結なんて嗤わせないでくれたまえ。

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