唯授一人嫡々血脈相承にも別付・総付の二箇あり。その別付とは、すなわち法体相承にして、総付とは法門相承なり。しかして、法体別付を受け給いたり師を、真の唯授一人正嫡、血脈付法の大導師と言うべし。また、法門総付は宗祖・開山の弟子檀那たりし者、一人としてこれを受けざるはなし。けだし、法門総付のみを受けたる者は、ついには所信の法体に迷惑して己義を捏造し、宗祖・開山の正義に違背す。
第6章は、日蓮正宗の血脈相承に関する疑難に対して日応上人が日守に破折を加えている章で、55節のこの一文は日守のみならず、日蓮正宗大石寺の唯授一人血脈相承を否定する全ての者への破折であり、当宗の血脈相承の一端を明かした重要な御指南でもあります。富士大石寺の唯授一人血脈相承には、総付嘱と別付嘱の総別の二義が存します。総付嘱とは法門の相承で、これは法主上人猊下より僧俗の別の無く全ての弟子檀那に公開されます。これに対し別付嘱は法体の相承で、この付嘱は御歴代の法主上人唯一人だけに相承されるのであり、この法体相承を受けた方こそが日蓮大聖人仏法の全てを受け継ぐ大導師なのです。法体相承とは、「しかして、別体の相承とは、すなわち我が山に秘蔵する本門戒壇の大御本尊これなり。乃至、この法体相承を受けるにつき、なお唯授一人、金口嫡々相承なるものあり。この金口嫡々相承を受けざれば、けっして本尊書写をなすことはあたわず。」と次下で述べられているように、本門戒壇大御本尊及び書写等の本門戒壇大御本尊に関する一切の権能は、法体相承を受けられた法主上人猊下に存するのです。ところが、総付属である法門だけを学んだ一知半解の、創価学会・顕正会・正信会の者どもは、所信の法体である法主上人の御内証に迷い疑い、己義・邪義を構えて退転し、戒壇の大御本尊や法主上人に敵対するのです。創価学会員の、「信心の血脈」論など典型的な総付だけを全てだと思っている「バカ」のひとつ覚えです。そうした己義を捏造・正当化するために、別付である法体相承を真っ赤な顔をして否定する。これは700年以上前から変わらない退転者のパターンです。日蓮大聖人は『曽谷殿御返事(成仏用心抄)』の中で、「既に上行菩薩、釈迦如来より妙法の智水を受けて、末代悪世の枯槁の衆生に流れかよわし給う。これ智慧の義なり。釈尊より上行菩薩へ譲り与え給う。しかるに日蓮、また日本国にしてこの法門を弘む。 また、これには総別の二義あり。総別の二義少しも相そむけば、成仏思いもよらず。輪廻生死のもといたらん。」と言われています。釈尊が、上行菩薩に別付嘱したように、日蓮大聖人の仏法も日興上人に別付され、爾来、御歴代法主上人に法体相承してきたことは、本門戒壇の大御本尊が富士大石寺に厳然と御座します事実によって明らかなのです。このように、三証の上からも富士大石寺の唯授一人血脈相承は確かなものですが、池田創価等は、勝手に本尊を認定し、本尊を信徒に偽造して信徒に配り、本尊義を変更する。いくら御書を自分たちの都合のいいように解釈しても、法門相承のない在家教団の解釈は己義・邪見の範囲から出ることはありません。また日蓮正宗の血脈相承を否定をしながら、日蓮正宗の法体である戒壇大御本尊の写しを本尊としている姿は滑稽すぎるほどの自己矛盾です。創価・顕正は、まさしく大聖人が仰せの総別の二義に背ているのですから、成仏などできる道理はなく堕在無間は必定なのです。
創価学会の退会方法(静かに創価を去るために) - 創価ダメだしブログ
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