創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

創価教学じゃない御書講義(2021年4月座談会御書・諌暁八幡抄)

日蓮は去ぬる建長五年[癸丑]四月二十八日より今年弘安三年[太歳庚辰]十二月にいたるまで二十八年が間又他事なし、只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり、此れ即母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり。

今月、4月28日は宗旨建立の日です。今回は大聖人が建長五年四月二十八日に宗旨を建立した理由が述べられています。立宗宣言は大聖人が妙法蓮華経の七字五字により末法の一切衆生を即身成仏せしめんがための宣言です。それは、

◆御義口伝に云く大悲とは母の子を思う慈悲の如し今日蓮等の慈悲なり(御義口伝巻上)

とのお言葉通り、大聖人のご本仏の大慈悲心です。「慈悲」といっても「大・中・小」の慈悲があります。そのうちの「大慈悲」とは「無縁の慈悲心」といって仏の「慈悲」のことを言います。正宗の勤行の三座のご観念文に「大慈大悲」と書いてありますが(創価の勤行にはありません)「大慈大悲」とはご本仏日蓮大聖人に備わる徳のひとつです。とここまで書くと「今日は慈悲の話でも書くのかな?」と思われる読者の方もいると思いますが、なにせ創価の座談会御書です。創価民に「大慈悲」の話なんてしても無駄なので今日は本文後半の、【母の赤子の口に乳を入れんとはげむ】という部分の話です。この部分は、前半の【只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり】のたとえ話ですよね。【口に入れる】とは「唱題」の事なのも分かりますよね。じゃぁ【乳】とはなぁ~んだ?って話です。【乳】とは次上の【妙法蓮華経の七字五字】の事です。この【妙法蓮華経の七字五字】とは、いわゆる「題目」のことではなく、「仏力・法力」のことです。そしてその【乳】を作っているのが【母】である日蓮大聖人なわけです。つまり大聖人はご自身の中にある「仏力・法力」を我等凡夫に与えるために「唱題」という方法を教えてくれたわけです。大聖人のご在世の時は生身の大聖人が母(法体)として仏力・法力の乳を与えてくれましたが、応身(鎌倉時代に誕生した)の大聖人が涅槃後は本門戒壇大御本尊に色心二法を移されました。ですから現在は【法体である母】とは戒壇大御本尊なのです。この母たる戒壇大御本尊を捨てた人の唱題は何の意味もありません。私がいつも「唱題そのものに功徳はない」と言っているのはこういう理由なわけです。日寛上人は唱題の祈りが成就するのは御本尊の「仏力」「法力」の故であるとご指南されています。

◆問う、但信心口唱に即ち観行成就するや。答う、但本尊を信じて妙法を唱うる則は、所信所唱の本尊の仏力・法力に由り、速かに観行成就するなり(中略)故に知んぬ、信力・行力を励む則は仏力・法力に由り、即ち観行成就することを(観心本尊抄文段)

例えば哺乳瓶の吸い口を何時間も吸っていても、その哺乳瓶の中身が空っぽであれば何も口に入ってきませんよね。大御本尊を信じない唱題は空の哺乳瓶を吸っているようなものです。いや何も入っていないならまだマシです。創価という哺乳瓶に入っている中身はインチキカラコピ掛け軸即創価本尊で製造された「毒水」です。創価民さんは毎日インチキ創価本尊に「唱題」をして「毒水」を飲んでいるわけです。飲めば飲むだけ有害です。いますぐインチキ創価本尊に題目をあげるのを中止した方がいいです。戒壇大御本尊を捨てるという事は乳児が自分から母親を捨てるということす。つまり自分自身の生命を捨てるということなのです。そこに人生の幸福など絶対にありません。創価民のみなさんには、ご本仏日蓮大聖人が大慈大悲をもって末法万年の衆生の為に残された戒壇大御本尊につながり、「仏力」「法力」を思う存分に味わい幸福な人生そして来世への扉を開いて欲しいと願っています。題目に功徳があるのではないんですよ。正しい御本尊に功徳が備わっているのです。創価のインチキ教学に騙されないくださいね。


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