創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

御観念文の意味と意義⑤(五座)

【五座御観念文】

某【○○家(父方)、○○家(母方)】先祖代々並びに当宗信仰の面々、内得信仰の面々、各々先祖代々の諸精霊、追善供養証大菩提の為に、南無妙法蓮華経

乃至、法界平等利益自他倶安同帰寂光。

五座の御観念文は追善供養になります。過去帳がある方は御歴代上人の御命日忌(御逮夜)、大聖人の御法難、そして過去帳記載の自身の両親・祖父母等のへの御祈念をしたのちに五座の御観念文を読みます。私は過去帳を作る前には御歴代上人の御命日の一覧をネットからプリントアウトして御歴代上人の御命日の追善を御観念していました。因みに御歴代上人の御命日(御逮夜)は「追善供養証大菩提」ではなく、「御報恩謝徳申し上げます」と観念します。また「有縁の友人・知人の諸精霊」も五座の観念の中に追加します。【証大菩提】とは仏の悟りを得る(実証)することで分かりやすく言うと【成仏する】という意味です。さて日蓮大聖人は『御義口伝』で「今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり、法華不信の人は堕在無間なれども、題目の光を以て孝子法華の行者として訪わんに豈此の義に替わる可しや」言われているように唱題が先祖や友人知人達にたいする最高の追善供養であることを御指南されていますが、この御文の前には「至の字は白毫の行く事なり白毫の光明は南無妙法蓮華経なり」と書かれています。【白毫】とは仏の三十二相のひとつで法華経の序品で白毫から光を放ち十法界を照らしたことについての御義口伝の御指南ですから無間の闇を照らす題目の光とは仏力・法力の事です。つまり唱題の回向とは御本尊の力によるものです。従って仏力・法力の無い創価本尊や本尊のない遥拝の顕正会の勤行・唱題では追善供養にならないのです。題目(唱題)というのは本尊と一体ですから正しい本尊に向かって唱題しなけば無意味であり自信に功徳が追善にならず先祖も救う事もできません。

乃至、法界平等利益自他倶安同帰寂光。

「乃至」とは接続や省略を意味する言葉で、ここでは「引き続き」という意味です。この観念文は、『法華経化城喩品第7』の「願わくは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏 道を成ぜん」の文より起こっています。つまり御歴代上人や自分の親族・友人・知人以外の一切の衆生(有情・非情を問わず)に自身の功徳を普く施し成仏を願うという観念です。回向には「菩提回向」「衆生回向」「実際回向」の3種あるといわれますが、この御観念は「衆生回向」になります。因みに「菩提回向」は「我方便を以て、汝を引導せしが故に、我が法の中に生ぜり」(譬喩品)、「実際回向」は「勤求して此の法を獲て遂に成仏を得ることを致せり」(提婆達多品)と法華経で説かれています。いずれにしても大聖人が御書の各所で追善供養・回向の大事を御指南されていますので心を込めて観念文を読むことが大切であるとともに回向の根本は自身が功徳善根を積むことにあります。自分の信心が弱かったり間違っていれば回向する功徳がありません。(謗法の創価民や顕正会員には先祖に回向する功徳はなく罪業を回向することになります)そうならないように日々の勤行唱題・折伏・参詣などで功徳をたくさん積んで一切衆生戒壇大御本尊の仏力・法力を回向していきましょう。

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