創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

御観念文の意味と意義②(二座)

二座の勤行は本尊供養です。総じて言えば自宅の御本尊、別して言えば本門戒壇大御本尊にに対する御報恩感謝をささげます。因みに御本尊は大聖人内証の寿量品を能詮とするので寿量品の長行を読むのです。長行を省く創価のインチキ勤行では全く意味がないのです。

【二座御観念文】南無本門寿量品の肝心・文底秘沈の大法・本地難思境智合・久遠元初・自受用報身如来の御当体・十界本有常住・事の一念三千・人法一箇・独一本門戒壇の大御本尊、御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為に

本門寿量品の肝心・・・ひろくちに「本門寿量品」といっても、体外・体内・内証と3種の寿量品の読み方があります。いわゆる釈尊の文上寿量品は体外の寿量品です。御観念文の寿量品の肝心とは冒頭に書きましたが大聖人内証の寿量品の事でその肝心(所詮)が戒壇の大御本尊なのです。◆寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字をもって閻浮の衆生に授与せしめたもうなり(観心本尊抄

文底秘沈の大法・・・『開目抄』の◆一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたりの御妙判がこの御観念文の出自です。法華経が一番尊い経典であるという理由は南無妙法蓮華経法華経寿量品の文底に秘沈されいるからです。よく法華経等の大乗仏典を非仏説と批判する人がいますし法華経の釈名には「南無妙法蓮華経以外にもある」と批判する人もいますけどそれらは全く的外れなんです。法体である戒壇大御本尊が法華経の文底に秘沈しているが故に法華経尊いのですから仏説であるとか非仏説であるとか関係ないのです。それと「秘」という意味ですが、これは秘密にしている(隠している)という意味ではありません。仏のみが良く覚知し凡智では計り知れない故に「秘」というのです。

本地難思境智冥合・・・日寛上人の『法華取要抄文段』に、◇「本地難思の境智」とは即ち是れ久遠名字の妙法なり。久遠名字の時なり。豈「本地」に非ずや。「難思」は即ち是れ妙なり故に経に「難思」は即ち是れ妙なり「我が法は妙にして思い難し」と云うなり。との御指南があります。この本地の妙法=戒壇の大御本尊は思惟しがたいことを本地難思といいます。そして境とは十法界を貫く「法」であり智は本地の御本仏の「智慧」です。この境智の二法が冥合した姿が戒壇の大御本尊です。「宇宙の法則を図顕化」した姿ではないのです。それが創価員等には思惟できない、まさに本地難思といえますね。

久遠元初・・・釈尊の「久遠実成」の当初(更にその過去)というのが久遠元初です。この久遠元初には始まりがありません。始まりがないので終わりもない。生じないので滅しない。不生不滅が戒壇の大御本尊の心法なのです。

自受用報身如来の御当体・・・自受用身とは一念三千の事であり無作三身のことです。三身の中の報身とは仏の智慧のことでこれを報身如来といいます。この報身とは上は法身に通じ下は慈悲と現れ応身になるので仏の三身の中心になります。つまり仏の智慧の中にしか事としてしての法(身)は存在しません。御本仏を離れて宇宙に法理が存在するというのは外道義です。法は仏の中に存在するのです。戒壇大御本尊はこの自受用身報身如来の御当体です。この事(仏の智慧)を事に顕したから戒壇大御本尊を事の一念三千と呼ぶのです。「宇宙の法則を図顕した」のでは「理を事に顕した」ことになりません。これは即ち「理」なのです。

十界本有常住・・・④で説明しましたが久遠元初自受用身如来(一念三千即無作三身)は不生不滅ですからその体は本有常住です。「もともと存在していて永遠に存在する」ということです。ここでいう所の十界とは御本仏(久遠元初自受用身如来)の己心の十界、即ち仏界所具の十界です。仏界所具の十界が戒壇大御本尊の御相貌です。

事の一念三千・・・これも⑤で説明した通り「事を事に顕された」故に戒壇大御本尊を事の一念三千といいます。

人法一箇・・・御本尊の中尊の「南無妙法蓮華経日蓮御在判」の御文字は「人法一箇」の意義を示しています。③⑤で説明したように法本尊(一念三千)と人本尊(無作三身)には前後・優劣はなく最初から一体です。この根本は日蓮大聖人が人法一箇の体ということであり、その御本仏・大聖人の色心二法を顕したのが戒壇大御本尊です。

独一本門・・・釈尊法華経には本門と迹門があります。迹門に対して本門という相対妙なのですが「独一本門」には迹門はありません。つまり絶待妙ということです。この絶待妙の体が戒壇大御本尊であるといこうとです。

このように二座の観念文は戒壇大御本尊に対する説明(法義)が様々な角度から書かれています。朝晩の勤行の時に二座の御観念文を読めば自然と戒壇大御本尊の体が何であるかということが生命に刻まれます。そして【御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為に】とはこのような素晴らしい戒壇大御本尊を讃嘆する言葉です。法華経の功徳はほむれば弥功徳まさる(妙密上人御消息)と御聖訓にあるように戒壇大御本尊を讃嘆することによってその唱題の功徳がまさっていくわけです。

創価・顕正からの退会・正宗への移籍のご相談はメールでお気軽に。※正宗への勧誘目的ではありません。sokadamedasi@gmail.com

 

▼一日「イチ押し」お願いします!

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会 批判・告発へ
にほんブログ村


創価学会ランキング