創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

御観念文の意味と意義③(三座)

三座の御観念文は三師供養です。二座の本尊供養は総じては三宝供養ですが別していうと法宝供養です。三座では仏宝と僧宝への御観念ですから二座同様に大聖人・日興上人・日目上人と御歴代上人の最初に「南無」がつきます。日寛上人『当家三衣抄』に、

◇南無仏・南無法・南無僧とは若し当流の意は、南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初、自受用報身、無作三身、本因妙の教主、末法下種の主師親、大慈大悲南無日蓮大聖人師。南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初の自受用報身の当体、事の一念三千、無作本有、南無本門戒壇の大本尊。南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山付法南無日興上人師、南無一閻浮提座主、伝法日目上人師、嫡々付法歴代の諸師。此くの如き三宝を一心に之れを念じて唯当に南無妙法蓮華経と称え乃ち一子を過ごすべし云々。と書かれている通りです。

【三座御観念文】南無本因妙教主 ・一身即三身三身即一身・三世常恒の御利益・主師親三徳・大慈大悲・宗祖日蓮大聖人、御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為に

まず最初に大聖人が御本仏であることを御観念文に書かれています。

①本人妙の教主・・・「本因妙」とは「本果妙」に対する言葉で、不可思議(妙)の果報(仏果)の不可思議の原因(仏因)です。法華経における釈迦の五百塵点劫の成仏(久遠実成)は「本果妙」です。そして釈迦の五百塵点劫の成仏の因となったのが「南無妙法蓮華経」でこれを「本因妙」といいます。その「本因妙」を説いたのが教主でそれが日蓮大聖人であるということです。創価インチキ教学では大聖人を「末法の」御本仏と称していますが大聖人は「末法」に限定されて御本仏ではなく最初から(久遠元初)からの御本仏なのです。◆我が内証の寿量品とは、脱益寿量の文底の本因妙のことなり。その教主は某なり。(百六箇抄)

②一身即三身三身即一身・・・三身」とは。「法身」「報身」「応身」の事です。「一身即三身」とは、久遠元初自受用身の意味で縦(時間軸)に永遠を示しており、「三身即一身」とは、無作三身の意味で横(空間軸)に無限を示しています。◆自受用身とは、一念三千なり。伝教云わく「一念三千即自受用身。自受用身とは、尊形を出でたる仏なり」。「尊形を出でたる仏」とは、無作の三身ということなり云々。(御義口伝)との大聖人の御妙判にあるように、「一身即三身」即「三身即一身」です。つまり大聖人は永遠・無辺の御本仏なのです。

三世常恒の御利益・・・②で示した通り大聖人は永遠(三世常恒)の御本仏です。弘安5年10月13日に滅不滅の相を示された後は、人法一箇の戒壇大御本尊に帰入され永遠・無辺の御利益を一切衆生に与えたもうのです。

主師親三徳・・・「主徳」は守護・「師徳」は教化・「親徳」は慈愛の徳です。この三徳を兼備しているのが仏です。どんなに偉大な人間であっても三徳兼備の者はいません。「永遠の師匠」といっても「師徳」だけの存在です。

大慈大悲・・・仏法においては「慈悲」は大(無縁の慈悲)・中(法縁の慈悲)・小(衆生縁の慈悲)に分類されます。この中で仏の慈悲のことを大慈悲(大慈大悲)といいます。法華経において一切衆生にも大慈悲が備わると説かれていますが、これは末法においては凡夫(一切衆生)僧である大聖人の事を示されているという甚深の義です。日蓮が慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。(報恩抄)との御妙判にあるように真実の大慈悲の御本仏は日蓮大聖人です。また「大聖人」という尊称も「仏」を示す尊称です。

南無法水瀉瓶・唯我与我・本門弘通大導師・第二祖白蓮阿闍梨日興上人、御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為に

次に僧宝随一の日興上人への御観念文です。

①法水瀉瓶・・・「法水」とは久遠元初の御本仏・日蓮大聖人の所持されている南無妙法蓮華経の法体で「瀉瓶」とは水を一器(瓶)から別の一器に移すことです。すなわち法体の血脈相承の事です。この血脈相承を直接大聖人から受けれたのが唯受一人の日興上人です。故に日興上人を僧宝随一とするのです。

②唯我与我・・・「唯我与我」とは法華経方便品の「唯仏与仏」と同じ意味です。「唯我」とは大聖人で「与我」とは日興上人のことです。つまり血脈付法のことで「法水瀉瓶」と同意です。

③本門弘通大導師・・・「 本門弘通大導師」とは『日蓮一期弘法付嘱書』の日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興にこれを付嘱す。本門弘通の大導師たるべきなり。に由来しています。日応上人は『弁惑勧心抄』でこの御文を会通し、日蓮とは仏宝なり、一期弘法とは法宝なり、本門弘通の大導師とは僧宝なりと釈しています。即ち日興上人は下種三宝の僧宝であるということです。

④白蓮阿闍梨・・・「白蓮阿闍梨」とは日興上人の事で、大聖人の二箇相承書と御遷化記録にその名が見られます。日寛上人の『当体義抄文段』に◇興師は、白蓮華とは、興師既に白蓮阿闍梨りと名づく。名詮自性の故に、名は必ず体を顕すの徳あり。故に白蓮阿闍梨の御名は、正に是れ興師の白蓮なるが故なり。と大聖人が日興上人に白蓮阿闍梨の名を付けたのはそこに僧宝の意義が込められているのです。

南無一閻浮提の御座主・第三祖新田卿阿闍梨日目上人、御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為に、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無日道上人・日行上人等御歴代の御正師、御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為に

最後に日目上人と御歴代法主上人に対する御観念です。

①一閻浮提の御座主・・・「一閻浮提」とは我々の住む世界であり座主とは大寺の管主という意味です。「一閻浮提の御座主」とは一切衆生を化導貫主上人という意味です。また『日興跡条々事』に◇本門寺建立の時、新田卿阿闍梨日目を座主と為し、日本国乃至一閻浮提の内、山寺等に於て、半分は日目嫡子分として管領せしむべし。残る所の半分は自余の大衆等之を領掌すべし。と記されているように広宣流布の暁に現在の大石寺が本門寺と改名されたときの座主は日目上人(の再誕)となります。御歴代法主上人はこの猊座を広宣流布の時まで護られているのです。この猊座に着かれることは当然「一閻浮提の御座主」の意義を備えていることになり御歴代法主上人も「僧宝」としての存在なのです。

②御歴代の御正師・・・「正師」とは◆但唯以一大事因縁の妙法蓮華経を説く師を正師・善師とは申すべきなり。(最蓮房御返事)と大聖人は御妙判されています。但唯以一大事因縁の妙法蓮華経とは大聖人の仏法においては法体である戒壇大御本尊のことです。この戒壇大御本尊の内証は日興上人から日目上人そして御歴代法主上人に血脈相承されていますから日道上人以降の御歴代法主上人を御正師・僧宝として報恩感謝申し上げるのです。◇南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山・付法・南無日興上人師。南無一閻浮提の座主、伝法・日目上人師。嫡々付法歴代の諸師(当家三衣抄)との日寛上人の御指南の通りです。

 

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