いよいよ今日で『六巻抄』についての記事は終わりです。早速前回の続きから。
◆問う、袈裟の功徳実に是れ無量なり(中略)今疑う、諸宗門の袈裟皆此くの如き微妙の功徳を具するや。
ここは様々な経典で袈裟の功徳について説かれているが諸宗の袈裟にも功徳があるか?という質問です。これに対し日寛上人は、
◆答う、妙楽大師の記三中に云わく、経に被法服とは瓔珞経に云うが如し、若し天龍八部闘諍せんに此の袈裟を念ずれば慈悲心を生ず、乃至然れば必ず須く行体を弁じ教を顕わし、以って味の殊なるを分かつべし等云々。是れ肝心の文なり、学者善く思え。又当家三重の秘伝云々。
と『法華文句記』の文をもって答えてます。曰く、同じように袈裟の功徳を説いていても持つ法によって功徳の差は雲泥でありそこに当家の権実・本迹・種脱を明らめる三重秘伝の法門があると。つまり究極の法体を持っていない諸宗がどのような袈裟を着ようとも各教典に説かれている袈裟の功徳は具わらないということです。
◆問う、数珠の由来如何。
本抄の最後は数珠についての御指南になります。前回書きましたが当家の三衣とは、袈裟・衣・数珠になります。このうち袈裟・衣は御僧侶方だけが身に着けますが数珠に関しては我々在家信徒の身に着けるものです。つまり我々在家信徒にとって数珠は唯一の法衣ということです。なぜ数珠が衣に相当するのかというと数珠を手にかけ合唱すると百八の煩悩を隠すからです。数珠については以前にも記事を書きましたのでそちらを再読してみてください。
過去記事▶新しい念珠
さて日寛上人は数珠については
◆答う、夫れ数珠とは此れ乃ち下根を引接して修業を牽課するの具なり、木 子経に云わく、昔国王有り、波流梨と名づく、仏に白して言さく、我が国辺小なり、頻年寇疫し穀貴く民困しむ、我常に安んぜず、法蔵は甚広なり、遍く行ずることを得ず、唯願わくば法要を垂示したまえ、仏言さく、大王若し煩悩を滅せんと欲せば当に木 子一百八箇を貫き、常に自ら身に随え志心に南無仏・南無法・南無僧と称え、乃ち一子を過ごすべし云々。応に知るべし、木槵子の円形は是れ法性の妙理を表するなり。
と「木槵子経」を引用して御指南されています。この中で大切な部分は【常に自ら身に随え志心に南無仏・南無法・南無僧と称え、乃ち一子を過ごすべし云々。】の部分の御指南です。まず数珠は常に携帯する。ということです。私もいつも持ち歩いているバックの中に数珠と経本をいれて常に持ち歩いてます。創価時代には数珠を常に持ち歩くようなことはしませんでしたが(もちろん活動の時は活動鞄に入っていましたけど)いまは【常自随身】しています。また上記の文の【一子を過ごすべし】「一子」とは数珠の「ひと珠」のことで【過ごすべし】とは数珠の球を「つまぐる」ことで数取りです。要するに唱題のことです。つまり数珠は常に持ち歩き三宝を称え(信じ)唱題しないさい。との御指南です。さて、ではその三宝とは日興門下の富士門流では、
◆南無仏・南無法・南無僧とは若し当流の意は、南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初、自受用報身、無作三身、本因妙の教主、末法下種の主師親、大慈大悲南無日蓮大聖人師。
南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初の自受用報身の当体、事の一念三千、無作本有、南無本門戒壇の大本尊。
南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山付法南無日興上人師、南無一閻浮提座主、伝法日目上人師、嫡々付法歴代の諸師。
とういのが正当な大聖人門下の三宝の立て方なのです。勤行の二座・三座の御観念がこの御指南に当たります。これに違えているのが創価であり顕正・正信会の連中なのです。先ほど袈裟の功徳も話しをしましたが数珠の功徳もまた正しい修行があってこそ、正しい三宝を念じてこそ現れるものなのです。◆数珠は仏の如くせよと数珠の大切さを日寛上人は御指南されています。正宗ではみなさんご存じの取り数珠にも開眼するのはこのためです。ですから創価や顕正の数珠は別に床に置こうと足で踏もうとネコの遊び道具に使おうと全然問題ありません。創価は本尊も数珠も未開眼の偽物ですからね。
◆此くの如き三宝を一心に之れを念じて唯当に南無妙法蓮華経と称え乃ち一子を過ごすべし云々。
大聖人様・戒壇大御本尊様・日興上人、日目上人と御歴代上人の僧宝即唯授一人血脈相承を信じ念じて数珠を手にかけ唱題に励む。この日寛上人の御指南こそが大聖人仏法の唯一で究極の修行であるを確認して『六巻抄拝読の為の基礎知識』を終了させていただきます。
さて、ここまで『六巻抄』全編について縷々書いてきましたが、この『六巻抄』は大聖人仏法を学ぶ上で御書とともに常に読んでいただきたい書物です。初信の信徒から教学が進んだ信徒に至るまで、つまり大聖人仏法の基礎から応用・展開まで全てが詰まった書物です。私が創価にいながらも戒壇大御本尊への信を失わなかったのもこの『六巻抄』に出会ったからといっても過言ではありません。私もこれからも何度となく『六巻抄』を読むと思います。皆さんもぜひ何度も読む返してみたください。何か質問等があればお気軽にコメントくださいね。それでは全21回。お付き合いいただきありがとうございました。
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