創価ダメだしブログ

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六巻抄拝読の為の基礎知識⑳(当家三衣抄①)

今回から六巻抄の最後の『当家三衣抄』です。本抄には富士門流日蓮正宗)の御僧侶がお召しになる袈裟についての御指南と後半に少し数珠についての御指南が書かれいます。袈裟については信徒とは直接関係がありませんが知識として覚えておくのは悪くないです。まず「衣」とは「袈裟」のことです。法衣の発祥の地のインドでは暑いので「袈裟」の下に別の衣装を着ませんでした。中国や日本は寒いので袈裟の下に内衣や下着も必要に応じて使われました。本抄で日寛上人が「法衣」「三衣」「衣」どいわれているのは主に「袈裟」のことを指していることを念頭に読んでください。さてその「袈裟」には三種類あります。

◆一には僧伽梨即ち大衣なり、二には鬱多羅僧即ち七条なり、三には安陀会即ち五条なり。此れを三衣と名づくるなり。

僧伽梨とは九条から二十五条、鬱多羅僧は七条、安陀会は五条の袈裟のことので、この三種類の袈裟を「三衣」といいます。「条」というのは縫い合わせた布の枚数です。袈裟は数枚の布を縫い合わせて作ります。その布の枚数が5枚なら「五条」です。枚数(条数)が多いほど高価です。ですから僧伽梨は正装、鬱多羅僧は準正装、安陀会は普段着というイメージです。また袈裟の色も青・黒・木蘭の三食をあると言われています。元々「袈裟」とは布を染めたもので、青は銅青・黒は雑泥・木蘭は木の皮で染めた色でこれらの色は「壊色」(えじき)と言って在家が使う五正色・五間色と区別されている色です。さて富士門流の御僧侶は、カタチは素絹の五条で色は雑泥の薄墨色の袈裟を着用することを御指南されているのが本抄の袈裟に関する御指南です。これは日興遺誡置文にも書かれています。その理由として素絹五条を着るのは、(1)末法下位の位を表すため。【教弥実なれば位弥下れり】(四信五品抄)とあるように説く法が高い教えであれば、説く人の位は低くなるわけです。その位を素絹五条の袈裟で表現しています。(2)末法折伏行に相応しいから。素絹五条は「行道雑作衣」ともいい高価な袈裟と比べると起居動作に便利な袈裟です。世間に向かって折伏をするのに高価な袈裟を着てては何かと不便。折伏行を宗とする富士門流の御僧侶に相応しいのは素絹五条の袈裟です。また薄墨色を着用するのは(1)名字即の位を表す。(2)他宗と区別する。(3)順逆二縁を結ばんがため。(4)自門の非法を制する。という理由を日寛上人は説明されています。では薄墨色同じ雑泥色の黒色ならいいではないか?とい問者に対し日寛上人は現在の黒色は壊色ではなく在家も使う正色であり「法句経」の文証を引用し黒衣が謗法であると断じています。また他宗の使う黒衣は藍染であって雑泥で染めた黒色なので壊色ではないと説明します。また日蓮宗の他門流が好んで着る紫衣もその謂れを明らかにし僧侶が着用することを非として退けています。さらに、直綴・香衣を許さない理由として主に他宗と区別するためであると言われ、逆に横裳は根源が伝教大師からの相伝であり直綴の由来とは全く異なると説明しています。さてここで問者は五条だけの富士門流では「三衣」が揃わないではないかといいますが日寛上人は、

◆当家の意三衣を欠くに非ず、但上古の三衣に異なるのみ。謂わく、衣・袈裟・数珠、是れを三衣と名づく

と、富士門流の「三衣」とは「衣」「袈裟」「数珠」である。と当家の三衣を明示しています。ここは大切ですから覚えておいてください。また富士門流では時に白袈裟を着用しますがその理由として(1)白は最も位の低い理即を表す。(2)大聖人もある時には白袈裟を着用された。(3)白袈裟は白蓮華を表す。などを挙げ更に本宗の御僧侶が薄墨の衣の上に白袈裟をかける姿は「如蓮華在水」の姿であると御指南されてます。また法衣の布地について問者は最も粗末な麻を使うべきだと主張しますが、日寛上人は当宗の法衣にはできるだけ質素とすべきだが上質の布地使用を禁止しないのは世上の価値観等の変化に対応してきた結果であると答えています。これはそれまで入手困難で高価だった布地も時代が変われば価値も変わるしまた世間の常識も変わっていくという意味です。続けて

◆然るに当世に及ばば門葉の中に於いて一心に仏道を求め、世間を背捨する者は爪上の土の如し、徒らに万金の衣を著、百味の食を食う者は猶お大地の如し、嗚呼後生日々三たび身を省みよ云々。

と当宗の御僧侶に対し厳しく戒めています。

というわけで今回はここまでです。日蓮正宗の御僧侶の袈裟・衣は世法の中においてよく御本尊を護り、よく折伏をしていくという大聖人以来の御精神が表れている法衣です。池田創価は「袈裟衣の権力」などとバカなことをいいますが他宗と違い権威・権力を厭離しているのが日蓮正宗の素絹五条の薄墨色の袈裟衣なのです。そのような法衣を纏われている正宗御僧侶に「権威・権力」だと非難するのは全くの「いいががり」でしかありません。もちろん、創価脱落僧のように正宗の衣を一度は纏いながら創価の権力に負け財力に目が眩んで◆徒らに万金の衣を著、百味の食を食う者となった者もいますが、そのような者に薄墨色の五条の袈裟をかける資格はありません。創価脱落僧はもはや富士門流ではないのですから薄墨色の袈裟は脱ぎなさい。そうだな「赤・青・黄色」の三色の布で作ったチンドン屋のような袈裟がいいでしょう。それならすぐに創価僧だと分かるからそれがいいと思います。

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