創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

日興遺誡置文の研鑽④

日興遺誡置文の研鑽の第4回目です。今回は2項目です。では早速はじめます。

一、学問未練にして名聞名利の大衆は予が末流に叶う可からざる事。

まず「学問未練」とは一応は「教学がまだ完全ではない」という意味ですが、これは広く我等・末法の荒凡夫全員を指します。どんなに教学が有ると自負しようが所詮私達は凡夫ですから大聖人仏法の法門法義を完全に理解できることなど不可能です。よって私達は全員「学問未練」の者なのです。それにも関わらず、指導者ぶって自分が全てを知っているかのように法を説くのは実に傲慢なことであり、しかもそれが自分の人気取りや利益ため(名聞名利)の言動であればその人は日興上人の弟子でないと言われています。名聞名利で法を説く人物を仏法では「食法餓鬼」と呼びます。

◆食法がきと申すは出家となりて仏法を弘むる人我は法を説けば人尊敬するなんど思ひて名聞名利の心を以て人にすぐれんと思うて今生をわたり衆生をたすけず父母をすくふべき心もなき人を食法がきとて法をくらふがきと申すなり(四条金吾殿御書)

上記に御書の御文には「出家」と書いてありますが、これは鎌倉時代においては出家の僧侶以外に仏法を説く人がいませんからこのような表現になっていますが現代においては在家でも仏法を説く人は大勢いますから食法餓鬼は出家に限定されません。まさしく、創価には池田大作を筆頭に末端の幹部に至るまで全員がこの食法餓鬼です。創価では日興上人を僧宝と呼んでますが、その日興上人から「予が末流ではない」と言われているのですから憐れなものです。ならば私達は「儲けたい」「異性にもてたい」とかいった自分の欲望を祈ってはいけないのかといえばそうではありません。日寛上人は立正安国論の文段で次のように御指南されています。

◇縦い名聞の為にもせよ、若しは利養の為にもせよ、身に妙法の行を立て、口に妙法の行を説け。或は身を仏前に運び、口に妙名を唱えよ。若し爾らば意業は自ら妙法の大善に入るべきなり云云。

要約すると、たとえ名聞利養を求めて信心を初めたしても、正しいご本尊に向かいご本尊を信じて本門の題目を唱えるという、身・口で正行を行えば自然と心(意)も名聞名利に囚われなくなっていくのです。つまり日々の勤行唱題を正しく行っていくことです。また、

◆後世を願はん者は名利名聞を捨てて何に賎しき者なりとも法華経を説かん僧を生身の如来の如くに敬ふべし(新池御書)

との大聖人のご指南をしっかりと守っていく事が肝要です。登山や参詣そしてご供養をしていくことが名聞名利に陥らないための実践であり、日興門流としての在り方だと思います。

一、予が後代の徒衆等権実を弁えざる間は父母師匠の恩を振り捨て出離証道の為に本寺に詣で学文す可き事。

「徒衆」とはご僧侶方の事です。本条項においては「権実」と書かれていますが、これは日興上人の時代においては五老僧でさえ権実相対が理解できていなかったので一応「権実を弁えざる」と書かれただけで実際に弁えるべきは種脱相対です。またこの権実とは釈迦仏法では法華経(実)と爾前経(権)ですが、大聖人仏法においては、実教とは南無妙法蓮華経の大聖人仏法であり、釈迦仏法は法華経を含め全て権教となります。「出離証道」とは成仏という意味で、即身成仏の大聖人仏法を学ぶためには父母師匠の恩を振り捨て本山の詣でる。即ち出家しなさいということです。なぜ本山で学ぶのかといえば大聖人仏法は相伝仏法ですからただ学問を学べば出離証道が可能になるのでありません。血脈付法の法主上人に給仕して初めて本当に意味での「学び」になるわけです。その為には父母等の恩を捨てなければ修行ができないからです。一読すると両親の恩を捨てるというのは酷いように感じるかもしれませんが実は仏法の為に父母等を一時的に振り切る事こそが最高の報恩になります。

◆仏法を習い極めんとをもはばいとまあらずば叶うべからずいとまあらんとをもはば父母師匠国主等に随いては叶うべからず是非につけて出離の道をわきまへざらんほどは父母師匠等の心に随うべからず(報恩抄)

との大聖人のお言葉に通りです。本条項はご僧侶に対する遺誡ですが私達在家信徒にも通じる条項です。信心をするに当たり両親などの家族や友人に反対されることもあるでしょうけどそうした反対意見に従うことなく信心を貫く事が自身も父母等も成仏することになりそれが一番の報恩なのです。創価民が池田先生や両親に対しての恩を本当に感じているのであれば今すぐ創価を去って戒壇大御本尊の許に戻り父母や師匠のことを祈る事が真実の報恩であるということです。「学会のお陰」「池田先生のお陰」というのは世間的な恩でしかありません。モチロン世間的な恩義を大切にするのは悪い事ではありませんが、仏法者であるならば仏法での報恩を一番に考えるべきでしょう。


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