創価ダメだしブログ

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『化義抄』を学ぶ㉔(111~115条)

記事中の「赤文字」は『化義抄』から「青文字」は日亨上人の『註解』、「黒太字」は日達上人の『略解』からの引用文といたします。

 

【第111条】仏聖人の御使に檀方門徒へ行きて仁義にても引出物を得、布施などをも得たる時は本寺の住持の前にて披露するなり、其のまま我が所には置くべからず云云。

本条は在勤僧侶に対する御指南です。法主上人や御住職の代わりに信徒宅に行った際に受け取る世間的な儀礼としての引き出物や御供養は御住職(本山の場合は法主上人)にお見せして指示に従うということで見せずに勝手に自分が貰ってはいけないという僧侶としての筋道を示しています。

 

【第112条】世間病なんどの有る檀方の方へ御仏の御使に行きて帰りたる時は、水をあびて本堂へ参りて其の後上人の御前へ参りて後に小児などのそばへも行くなり。

◇医学の進歩してない、その昔に、自ずから病気を伝染せしめない心掛けを教えているので、小児等は病気に罹り易いから、病家から直接に小児の所に行かず、身体を水で消毒し、しかも相当の時間を経て、小児のそばに行くように誡められているのである。(日達上人略解)

日達上人の略解の通りですが、日亨上人は

貫主上人は本仏の代官にもあり・又本仏の義にもあり・口づから命を発したる仁なれば、御前に復命せんこと亦勿論の義なり、小児は未だ剃髪得度せざるちご即ち小僧なり、此の傍に行くことは私事なり、本堂上人へ参るは公事なり。(註解第78条)

と御指南されています。つまり先ず帰ったら御本尊(本堂)と師匠に挨拶した後に「私的」(私事)をするという事です。私達信徒が仏事を行うことはありませんが、仕事や遊びで外出し帰宅したら先ずは御本尊に挨拶した後に私的な事をすることを心がけることが大切だという事ですね。私も、帰宅後は手を洗い口を濯いでから御本尊の前で題目三唱を心がけています。時々忘れてしまうこともありますが注意して心掛けて実践していけば自然とできるようになると思っています。古くからの法華講員さんはこういうことを当たり前のように出来るので凄いなといつも感じます。因みに創価ではこのような指導は聞いたことはありませんでした。

 

【第113条】法華宗は人の死去円寂の所をばいまず、只今茶毘のにわより来る禁忌の人なれども一向に忌まざるなり、只産屋月水等をば堅く是れをいむなり云云。

世間一般的には人の死を不吉・縁起でもないと忌み嫌ったり、葬儀に参列した後には塩で浄めたり(つまり死を不浄と思っている)しますが、当宗においては死を忌み嫌ったりしません。それは仏法においては生老病死は自然の理で特別な事ではないからです。後半の産屋月水等をば堅く是れをいむなり云云】は大聖人が『月水御書』で

◆月水をいみたる経論をいまだ勘えず候なり。在世の時、多く盛んの女人尼になり仏法を行ぜしかども、月水の時と申して嫌われたることなし。(中略)委細に経論を勘え見るに、仏法の中に随方毘尼と申す戒の法門はこれに当たれり。

と御指南されているに、月水(女性の月経)や産屋を嫌うような仏法の経典はないけど随方毘尼による解釈です。日有上人の時代には月水等を嫌う風潮であったのでこのような条項を書かれたものと思います。現代においては出産や生理を嫌うような風潮は残っていませんので後半部分については現代では当てはまらない御指南であるでしょう。

 

【第114条】法華宗の御堂なんどをぱ日本様に作るべし、唐様には作るべからず、坊なんども結構ならんは、中門寄なんどをもすべし云云。

◇日本式とは、一般世間に見られるあの本堂作りであります。しかし今日は西洋建築が盛んに取り入れられて来ているから、御本尊の尊厳を損せずみんな一様に参拝できるように建立すべきです(日達上人略解)

本条項は日達上人の略解の通りです。要するに寺院は建物の形状にとらわれる必要はないという事です。正宗末寺も昔ながらの古刹寺院もあれば近代建築風の寺院もあります。個人的な感想を述べると私は昔の正本堂よりも現在の奉安堂の方が好きですね。

 

【第115条】薄袈裟にうづら衣はスワウハカマに対するなり、イクワンの時は法服なり椎を重ねたる衣に長編の袈裟は直垂に対するなり云云。

本条は御僧侶の袈裟衣とサムライの礼服を対比してその格式を分かりやすく述べた条項です。信徒には直接関係しない条項ですから説明は割愛します。

 

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