我れ等は仏に疑いなしとをぼせばなにのなげきか有るべき、きさきになりてもなにかせん天に生れてもようしなし、竜女があとをつぎ摩訶波舎波堤比丘尼のれちにつらなるべし、あらうれしあらうれし、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経と唱えさせ給え
今月の座談会御書は「富木尼御前御返事」の最後の部分です。本抄冒頭の
◆やのはしる事は弓のちからくものゆくことはりうのちから、をとこのしわざはめのちからなり、いまときどの(富木殿)のこれへ御わたりある事尼ごぜんの御力なり
この一節にちなんで別名「弓箭御書」とも呼ばれます。この一節は池田センセが婦人部をおだてて煽る時によく使っていた一節です。さて富木尼御前は富木常忍の奥さんで法号を「妙常」といいます。最初のご主人と死別して富木常忍とは再婚したんですね。二男一女の子供がいて二人の男児は六老僧の一人の日頂師と重須初代学頭の日澄師です。富木常忍の母、つまり姑さんの介護を献身的にし富木常忍を度々大聖人の許へ行かせるという良妻賢母です。上記の冒頭の一節ではそんな富木尼を大聖人が讃えています。家事や家族を放置し会合や選挙に奔走し、旦那の言う事は聞かないけど池田センセの言う事は素直に聞くという創価婦人部を富木尼と同列に語るとは失礼にも程があります。婦人部妻に蔑ろにされている旦那さんにしてみれば「富木尼の爪の垢でも煎じて飲めや」と言いたいだろうと思います。尼は尼でも我家の婦人部妻は「バ〇アマ」と内心思っている方もいると思います。さて、今回の御文で創価は一体何を講義するのか良く分かりません。おそらく唱題して成仏することは今世で妃のような生活をするよりも嬉しい事だ。な~んて感じでしょうか?相変わらず「南無妙法蓮華経」と呟いていれば成仏できると思っている無知っぷりです。大聖人御在世の時代なら「南無妙法蓮華経」の唱題をすれば成仏できます。何故なら創価や顕正・身延のような「南無妙法蓮華経」の題目を唱える異流儀が存在しないからです。当時は「南無妙法蓮華経」と唱題するのは大聖人を信じていた人だけです。大聖人が末法の御本仏と知らなくても三大秘法の義を知らなくても、「南無妙法蓮華経」を唱題していた人は日蓮大聖人に対して信敬の念を持って唱題していたわけで自然と本門の題目を唱えていたわけです。そういう信徒を大聖人は「我ら等」と仰ってくれたわけです。我等の「ら(等)」の字は「等しい」ということです。つまり「御本仏と等しい」ということです。ではどうして御本仏と「等しく」なるのかというと、いつも挙げる日寛上人のご指南ですが、
◇我等一心に本尊を信じ奉れば、本尊の全体即ち我が己心なり。故に仏界即九界なり。我等一向に南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身の全体即ちこれ本尊なり。(観心本尊文段)
という法門によります。そして我らが一心に信じるべき御本尊は、日寛上人が同じ「観心本尊文段」で、
◇弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟の中の究竟、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり、況んや一閻浮提総体の本尊なる故なり
◇一念三千の本尊、その体何物ぞや。謂く、蓮祖聖人これなり。
と明確に示されているように、弘安二年の本門戒壇大御本尊=日蓮大聖人です。大聖人御在世の信徒は、生身の大聖人に信敬の念を持って題目を唱えましが、大聖人滅後の私達は戒壇大御本尊への信敬の念をもって題目唱えることが御本仏と等しくなることで、そのような信徒をして大聖人は「我れ等は仏」と言われているわけです。その戒壇大御本尊を捨て信頼も敬恭もせず日寛上人の書写した本尊を勝手に変造コピーして戒壇大御本尊と全く同じなどと言っている創価民が唱える唱題は富木尼の唱える題目とは全くの別物なのです。創価民が口にする唱題に似た呪文はただの一遍すら大聖人に通じていないだけでなくむしろ大聖人の御心を踏みにじる大謗法の呪文です。それでも尚、創価民の皆さんは自分が大聖人と同じ仏だと思いますか?自分は絶対に成仏できると思いますか?よく考えて、今からでも遅くないので【本門の題目】を唱えたらどうですか?
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