創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

創価教学じゃない御書講義(2020年6月座談会御書・曾谷殿御返事)

白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり、此の声をきかせ給う梵天帝釈日月四天等いかでか色をましひかりをさかんになし給はざるべき、いかでか我等を守護し給はざるべきとつよづよとをぼしめすべし

今月は「曾谷殿御返事」ですね。別名「輪陀王御書」とも呼ばれ輪陀王と馬鳴菩薩の故事が引用されている御書です。輪陀王と馬鳴菩薩の故事は本抄以外にも「内房女房御返事」(白馬白鳥御書)や「上野殿母御前御返事」にも引用されています。故事の粗筋は、【輪陀(りんだ)という名の王様は白馬が鳴く声を聞いて元気になり力が増します。この白馬は白鳥を見ると鳴くのですがある時白鳥がみんな居なくなってしまいました。白鳥が居なくなると白馬は鳴かなくなり結果、王様は元気を失っていき他国から侵略されそうになります。そこで王様は国内の仏教と外道とでどちらが白馬を鳴かせることが出来るか競争させ鳴かせられ方の教えを信じ鳴かせられなかった方は国から追放することにしました。最初には外道が一週間祈りましたが馬は鳴きませんでした。次に仏教の僧侶の馬鳴(めみょう)が法華経を以て祈った所すぐに白鳥がやってきて白馬が鳴き王様は元気を取り戻しその国は仏教の国になりました】という話です。白馬を鳴かせたので「馬鳴菩薩」というわけです(他説アリ)。故事の中の「輪陀王」とは諸天善神のことです。白馬の鳴き声は題目で白鳥は本抄では大聖人の弟子檀那に「内房女房御返事」では法華経(ご本尊)に譬えられています。さて、今月の創価の座談御書の範囲を見てみると実に創価のインチキ切文教学が如実に表れていいます。大白しか読まない創価民は一番大切な部分で創価にとっては一番触れたくない部分を教えられないままこの御書講義を聞くわけです。この御文の次上には◆白馬は日蓮が如しと書かれています。これは「内房女房御返事」にも全く同じに書かれている言葉です。この輪陀王と馬鳴菩薩の故事の引用で一番大切な部分はここなのです。その部分をそっくりカットするのが創価切文インチキ教学の真骨頂です。本抄は別名「五味主抄」とも言われています(個人的にはこちらの呼び方がいいと思います)諸天善神の食べ物は妙法の法味です。

◆諸天・妙法を聞くことを得ず法味を甞めざれば威光勢力有ること無し四天王並に眷属・此の国を捨て日本国守護の善神捨離し已る(守護国家論)

その法味(白馬の鳴き声)がなければ諸天善神はその場所を去りそこに悪鬼がやってくる。これが立正安国論に説かれているいわゆる神天上の法門です。さてその法味とは醍醐味(五種類の味の中で一番最上の味)のことであり本抄の冒頭に、

法華経と涅槃経とは醍醐のごとし又涅槃経は醍醐のごとし法華経は五味の主の如し

と書かれています。この御文の法華経と涅槃経とは醍醐のごとしの部分の法華経とは醍醐味そのものを指し「南無妙法蓮華経」の題目のことで「白馬の鳴き声」のことですが、次の法華経は五味の主の如しとは「五味の主」ですから醍醐味そのものではなく、醍醐味を含めた五味全てを生み出す「大元」即ち「法体」そのものでコレが「白馬」です。そしてその白馬とは日蓮(大御本尊)である。ということなのです。だから◆白馬は日蓮が如しの御文をカットしていまうと一番肝心な部分を講義しないということなります。今回の座談御書では、「白馬の鳴き声」つまり唱題だけを強調し「白馬」である本尊を全く無視するというインチキ本尊の創価らしいインチキ教学です。本文に◆我等が南無妙法蓮華経のこえなりとありますがこの「我等」とは、「我」は大聖人で「等」が大聖人の弟子檀那のことで師弟で唱える題目です。それが「白馬の鳴き声」といい「作師子吼」ともいいます。それが諸天の法味となるのです。

◆師子吼とは仏の説なり説法とは法華別しては南無妙法蓮華経なり、師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法吼とは師弟共に唱うる所の音声なり作とはおこすと読むなり、末法にして南無妙法蓮華経を作すなり。(御義口伝巻上)

「そんなこと言っても戒壇大御本尊は板なんだから南無妙法蓮華経の題目を唱えられじゃね~か」と思う創価民がいるかも知れないので教えておきます。日寛上人は戒壇大御本尊を説明した「観心本尊抄文段」の最後で

◇我等この本尊を信受し南無妙法蓮華経と唱え奉れば我が身即ち一念三千の本尊連祖聖人なり

とご指南されています。これは「戒壇大御本尊を信受して唱題をするときは我らの凡夫の身に日蓮大聖人が顕れる」ということですから、戒壇大御本尊を信じて唱える我々の題目はそのまま大聖人の題目でもあるのです。ですからこの故事の引用で一番大切な部分は「白馬」とは何か?ということであり、創価が意図的に(意図的でなけば教学力がないということ)カットした◆白馬は日蓮が如しが一番のキモなのです。「白馬」=「日蓮」=「戒壇大御本尊」これが大聖人仏法なのです。その白馬たる戒壇大御本尊を信受しない創価民の唱題は「白馬の鳴き声」などではありません。「駄馬の鳴き声」いや馬に似せた「驢馬の鳴き声」のようなものですから諸天善神の法味になりませんから諸天の守護などありません。むしろ「法味」に似せて「腐った食べ物」を差し出しているようなもんで守護どころか諸天の怒りに触れることでしょう。今月の創価の座談会御書がいかにインチキか理解できた創価民の皆さんはこんなインチキ教学に騙されることなくちゃんとした教学を学び大聖人仏法の正しい法門を理解し正しい大聖人仏法を信仰して欲しいと願っています。


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