さて、今年もまた創価の財務の季節である。
以前、創価バリカツが「債務」は「会費」だ。と言っていたがそれなら別に何の問題もない。
特に何のメリットがなくても会員が会費を払いたいと言って払う。
そんなものは俺には何の興味もないし、非難する筋合いでもない。好きにすればいい。
ところがだ、先日(11月6日)の聖教新聞に「御聖訓に学ぶ御供養の精神」なる記事を見つけた。
こういうことを会員に信じ込ませて財務を推奨するのであれば「大聖人仏法詐欺」であろう。
少し引用してその詐欺っぷりを指摘してみる(以下太字は聖教新聞からの引用)
法華経の行者に供養する功徳は、妙法を弘める人の功徳に等しく、広宣流布が拡大すればするほど、計り知れないほどの多くの功徳が、供養をした人に集まってくるのです。
ここで、「法華経の題目を弘められている人」とは、今日においては、現実の上で大聖人の御遺命である広宣流布を進めている創価学会をおいて、ほかにはありません。
「妙密上人御消息」の文を引いてこのように書いてあるが、
このロジックは、法華経の行者=法華経の題目を広める人=創価学会
ゆえに創価学会に供養する功徳は大きい。だから財務をすれば功徳がある。ということだろう。
この一連の記事は【教学】というカテゴリーの記事なんだがいったいこれのどこが教学なのか。
こんなのただのコジツケに過ぎない。さすがは創価詐欺軍団である。
一体全体どこをどう学べば法華経の行者=創価学会になるのか?きちんと文証を挙げて説明して欲しい。
なんだこの「法華経の題目を広める人」ってのは?
「題目」を広めるならば顕正会だって佼成会だって「南無妙法蓮華経」の題目を広めてるぞ。
どうも創価の無教学活動家は「題目」とは「唱える方の題目」だと思っているおバカさんが多い。
大聖人仏法仏法における題目とは「本門の題目」である。
「本門の題目」とは「本門の本尊」がないとできない。故に広めるべきは「本門の本尊」である。
その「本門の本尊」も一大秘法たる戒壇大御本尊がなければ広めることはできない。
一大秘法から離れて唱える題目は釈迦の文上法華経の題目である。
そもそも論を言えば、法華経の行者とは大聖人様であり大聖人とは大御本尊である。
法華経の行者といい、南無妙法蓮華経の題目といってもそれは大聖人の色心二法に他ならないからだ。
◆戒定慧の三学は寿量品の事の三大秘法是れなり、日蓮慥に霊山に於て面授口決せしなり、本尊とは法華経の行者の一身の当体なり云云。(御義口伝巻下)
◆されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり(御義口伝巻下)
それにもしも「題目を広めている人」が創価ならば、会員が創価学会に供養する必要はなかろう。
むしろ供養を受け取る側であってしかるべきだろう。
なのになんで金を出すんだ?
大聖人が他の仏にご供養をしたという文証や史実があるのか?
なぁ、それだけでオカシイって思わないのか?
それとも、いまの活動家は「題目を広めていない」のか?
活動家が広宣流布していないならば創価学会も広宣流布していないということだろう(実際してないが)
だったら創価に供養したところで功徳はないということだろ。
そもそも、創価の集金は「供養」ではなく「財務」だろう。
「供養」じゃないのだから「功徳」があるわけないだろうよ。
もっとも「ご供養」などとは口が裂けてもいえないだろう。
創価には「仏」が存在しないのだからな(笑)
なにせ、「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候」といわれる真筆の御本尊がただの一体も創価には存在しない。
つまり日蓮大聖人の魂が創価のどこにも存在しないわけだから「供養」したくてもする相手がいない。
だから「供養」じゃなくて「財務」なのだろう?(笑)
大聖人仏法とも関係のない功徳とかそういうことじゃなくて
創価学会を運営するための運営費として徴収します。
正直にそういえばいいんだよ。
そう言ったって払うヤツは払うよ。
それをご丁寧に大聖人の御書まで引用してあたかも大聖人仏法の如く錯覚させ
あまつさえ、只の会費に「功徳がある」などと嘘をいう。
俺はね、どこかのアンチみたいに「みんなが詐欺と言っているってるから創価は詐欺だ」
なんていう野暮なことは言わない。
大聖人仏法の文証・理証の照らし創価が詐欺である所以を
ちゃんと説明したうえで「創価は詐欺だ」と言っている。
それに対して何も言い返せないのだろう?
だったら「創価の財務には功徳なんてありません」
「創価への財務は日蓮大聖人と一切何の関係もありません」と正直にいいなさいよ。
学会員のみなさん。創価の詐欺軍団に騙されてはいけませんよ。
「功徳があるから」なんて言ってくる幹部や活動家は詐欺集団の一味ですからね。
なんで、ご本仏を捨てて何も存在しない創価に金を振り込むと功徳が出るのか?
きちんと文証で説明してもらってください。多分誤魔化ししますから騙されにように。
いいですか?創価は謗法団体なんですから、1円でも供養したら後悔しますよ。
同じ紙面に書いてあったでしょ。
謗法への布施を止めよって。
末法における正しいご供養は日蓮大聖人の色心二法である大御本尊へのご供養です。
御書に書いていない法主信仰
なんてものはどこにも存在していない。法華講員は誰ひとりそんなこと言っている人を見たことない。
法華講員は「日蓮正宗」に「布施」はしません。全て大御本尊へ「ご供養」します。
故に日蓮正宗には「布施」というもはないのです。ぜんぶ「ご供養」と書くのです。
むしろ、御書に書いていない創価学会仏なんていうものを公言して憚らないのは創価です。
大御本尊を捨てて創価学会仏を立てる創価こそが大謗法であることは自明でしょう。
そんな創価の財務は、びた一文たりとも大御本尊へ「ご供養」されることはないのです。
御書をしっかりと読んでそのことに気づいて欲しいといつも思っています。
ともあれ毎年のことですが創価の大聖人詐欺にはくれぐれもご注意ください。