創価ダメだしブログ

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今時の創価学会員が知らない公明党結党の理由。

今時の学会員は池田大作公明党を結成した理由を、「平和主義」「人間主義」の政治の実現だと思い込んでいる。確かに現在の公明党のスローガンはそうなのだが、公明党の結党の真実はそんなことではない。創価学会2代会長・戸田城聖が政治活動を始めたのは1954年(S.29年)11月に「文化部」を設置したのが原点で、最初は選挙活動のことを「文化活動」と呼んでいた。翌55年に、小泉隆が東京都議会議員森田悌二が横浜市議会議員になり、56年には辻武寿等3人が参議院議員になる。それでも生前の戸田は、「衆議院には候補者を立てない」(『週刊朝日』S31.7.29)、「わしの力あるかぎりは、断じて政党などやらんぞ」(『総合』S32.7)と語っていた。しかし、1960年(S.35年)に池田大作が会長に就任すると、徐々に戸田の考えとは違う方向に向かっていく。61年(S.36)に政治団体の「公明政治連盟」を結成すると、62年に参議院会派の「公明会」を立ち上げ、64年に「公明政治連盟」を格上げして、「公明党」という政党を結党した。その間に池田の発言は、「創価学会衆議院には出ません。なぜかならば、あくまでも宗教団体ですから。政治団体ではありません。」(会長講演集第1巻)、「われらは政党ではない。ゆえに、けっして、衆議院にその駒を進めるものではない。」(大白蓮華S36.6)、「公明政治連盟を1歩前進させたい。すなわち、公明政治連盟をば、皆さん方の賛成があるならば、王仏冥合達成のために、また時代の要求、民衆の要望にこたえて、政党にするもよし、衆議院に出すもよし、このようにしたいと思いますけれども、いかがでございましょうか。(中略)したがって、本日をもって、創価学会の政治部は発展的解消といたしたいと思うのであります。なぜならば、この10年間、わが同志である議員は、戦い、勉強し、一流の大政治家に育ってまいりました。恩師戸田先生も、時きたらば衆議院へも出よ、とのご遺訓があったのです」(池田大作「第27回本部総会S39.5.3)と変っていき、戸田会長が「やらない」と言っていたことを池田は「やってしまった」のだ。しかも、戸田が「時きたらば衆議院へも出よ」と遺訓を残したなど、戸田の言葉として残っていないウソを言い出した。戸田の政治活動の目的は、「われらが政治に関心をもつゆえんは(中略)国立戒壇の建立だけが目的なのである。」 (巻頭言集・昭和31年8月1日)と明言しているように『国立戒壇の建立』である。池田も、『王仏冥合の為』と会員に説明している。つまり公明党の結党の精神と目的は、『王仏冥合』の実現による『国立戒壇建立』なのである。これが表向きの公明党の結党理由だ。当時の学会員は、『国立戒壇建立』を目指して選挙活動に邁進していて、名実ともに【選挙は信心】だったのである。「平和主義・人間主義の政治」などと言いだしたのは、『言論出版妨害事件』で政教分離を宣言したからで、『王仏冥合』の代わりに、「平和」などと言いだしたのである。昭和45年までは公明党の綱領には『王仏冥合』と明記されている。だから本来であれば、結党理由である『王仏冥合』『国立戒壇』を放棄した時点で、創価学会公明党を支援する理由は無くなったのだが、その後も現在に至るまで「選挙は信心」という昔の指導のまま創価学会員の公明党支援は続いている。だが実は本当の公明党結党の理由は、「平和」でも「国立戒壇建立」でもなく、公明党を使って創価学会、就中池田大作が権力を手中に収める事に在る。これは陰謀論ではなく、『水滸会記録』に残っている事実だ。これは池田の「私が亡くなったら、選挙も無いよ」(2008年10月度本部幹部会)との指導に符合する。「平和主義・人間主義の政治」「大衆の為の政治」なんて取って付けた欺瞞である。『水滸会記録』の内容については別の機会で取り上げるが、池田は、「宗教団体だから衆議院には出ない」と明言したのだから衆議院に進出した時点で、宗教団体で在ることを放棄したのである。現在の創価学会をみると確かに表向きは宗教団体だが、実情は政治団体はではないか。私の知人の現役創価学会員数名も、そのように認識ているようだ。もはや「選挙は信心」ではなく、創価学会は宗教団体ではない。

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