創価ダメだしブログ

創価学会やその他異流義破折と日蓮大聖人の仏法の解説、宗教・思想を考察するブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

「井戸塀政治家」・田中正造【政治・経済学】

中道改革連合が先の選挙で落選した議員の支援を目的にクラウドファンディング(CF)を実施する方針を固めた。12月にまでに1億円が目標で、返礼品は、小川淳也代表や階猛幹事長が感謝を伝える動画や直筆の色紙、また寄付者が希望する所属議員との電話、国会見学会などを検討しているそうだ。中革連以外にも参政党・れいわ新選組・日本保守党や少し前には社民党もネットを通じて寄付を募っているけど、中革連のように落選議員の支援でCFするとは政治家としての矜持がどこにあるのかと問いたくなる。『井戸塀政治家』という言葉がある。資産家が政治を志し見返りを求めず私財を投げうって政治活動をし、最後に残った財産は井戸と塀だけだったという譬え話だ。村人が困っているから自分の田畑を売って川に橋をかけ村に井戸を掘る。だからこそ人々に感謝され尊敬され先生と呼ばれる。これが政治家の原点だ。日本最後の『井戸塀政治家』と呼ばれるのが、藤山愛一郎だが藤山の場合は自分の派閥を維持するために巨額の私財を使っただけなので魅力は感じない。『井戸塀政治家』といえば、やはり田中正造だ。田中は幕末から明治期の村名主の政治家で足尾銅山鉱毒の被害状況を調査した51歳以降、鉱毒解決に私財を投げうって献身した人物である。

田中正造

「銅山から流れ出る水には、銅・鉄分・硫酸が非常にたくさん含まれている。それが原因で動植物に被害が出る。」という調査結果を知った田中は、何度も国会で訴えたが鉱毒問題は一向に解決せず、明治天皇への直訴すべく、命がけの覚悟を決めて議員辞職をすると、明治34年(1901年)12月、国会開会式の日に田中は黒の羽織・袴姿の正装で直訴状を差し上げながら明治天皇の乗る馬車に駆け寄るも途中で警察官に取り押さえられ直訴は叶わなかった。しかしこの事件をきっかけに世論が盛り上がり政府は鉱毒調査会を設立することになる。調査会の示した結論は、渡良瀬川・思川・巴波川が合流する地点の谷中村をつぶして遊水地を作って洪水を防ぐというものだった。すると田中は明治37年から実質的に谷中村に住み何度も反対を国や県に訴えたが、政府は明治40年に土地収用法を適用し多くの村民は村外に出て行ってしまた。そんな中で田中は強制破壊当日まで谷中村に居続けた。その後の明治44年に谷中村に遊水地がつくらた。田中はその後も精力的に講演などを続けたが、大正2年8月2日、足利郡吾妻村下羽田(現・佐野市下羽田町)の支援者・庭田清四郎宅で倒れ、9月4日に同所で客死した。71歳だった。財産は全て鉱毒反対運動などで使い果たし、死亡時の全財産は信玄袋1つで、中身は書きかけの原稿と『新約聖書』、鼻紙、川海苔、小石3個、日記3冊、帝国憲法と『マタイ伝』の合本だけで無一文だったという。日本初の公害問題に立ち向かった田中正造こそ「井戸塀政治家」と尊敬に値する政治家だろう。「落選議員を支援するから寄付してください」などと言う厚顔無恥の政治家・政党は田中の爪の垢を煎じて飲むべきだ。中革連の落選議員などに1円たりとも恵んでやるいわれはないし、このような政治家は国政に戻ってこなくていい。田中正造の言葉に、「真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」という名言がある。メガソーラーや移民政策、オーバーツーリズム等々の日本文化破壊政策を続ける国会議員は恥を知るべきだ。「政治家は貧乏しろ」とはいわないが、落選したから政治活動が出来ないならば政治に関わって欲しくないし、そんな政党は未来の為に無くなって欲しいものだ。

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