創価ダメだしブログ

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言論出版妨害事件のこと。

『言論出版妨害事件』といっても既に半世紀も昔の事で今の創価員にとって風化された事件であり、この事件についての創価員の知識は『人間革命』などで改竄された歴史程度のものだろう。『言論出版妨害事件』とは、昭和44年(1969年)に明治大学教授で政治評論家の藤原弘達創価学会公明党を批判した書籍『創価学会を斬る』の出版予告電車の中刷り広告で告示されると藤原や出版元の「日新報道」社に対して学会員が組織的に電話や手紙で抗議(脅迫)し、直後に予定されていた衆議院選挙への影響を考えた公明党幹部(東京都議会議員藤原行正聖教新聞社主幹だった秋谷栄之助(後の学会第5代会長)が、藤原や日新報道に本来あるべき取材がないことを抗議し、資料の提供を提案し、書き直しや出版の中止などを要求した が拒否されたため、公明党中央執行委員長竹入義勝自民党幹事長・田中角栄に事態の収拾を依頼し田中角栄藤原弘達に出版の中止や書き直しを求めた他に「初版分は全部買い取る」などの条件までつけて交渉したが藤原はこれを拒否した。そして『創価学会を斬る』が出版されると今度は聖教新聞社潮出版社などの創価学会系列の出版関係者や創価学会員などが取次ぎ店や全国の書店を回り、藤原の本を返本するよう、扱わないようにと圧力をかけた。その結果、各書店からの大量の返本が相次ぎ大手取次店が全国への配本を断り]、一般紙や電車内の中吊り広告も断られることになった。また出版社から直接取り寄せた書店の多くが脅迫や嫌がらせを受けた。このように流通過程まで介入して出版妨害事件は「史上初」の言論出版妨害事件である。この事件はマスコミは創価の圧力に屈し取り上げなかったが、共産党の機関紙『赤旗』がこの問題を告発し、この事件を契機に創価公明の【政教一致問題】も指摘され流れとなり池田大作の証人喚問要請の声も上がるようになるが当時の佐藤内閣の政治的戦略で池田の証人喚問は実現しなかった。(池田が創価公明党幹部に自分の証人喚問を阻止するように命令していたことは当時の当事者たちの証言がある)結果としては、翌昭和45年に池田が本部総会で謝罪するとともに、公明党は党の綱領から「王仏冥合」「仏法民主主義」などの宗教用語を削除し、それまで創価公明が掲げていた「国立戒壇」を放棄するとともに折伏拡大路線からもの撤退も余儀なくされた。だいたいこのようなあらましである。余談ではあるが藤原の言論出版妨害事件が発覚したのちに、藤原の書籍だけは無く『これが創価学会だ』(植村左内 )『公明党の素顔』(内藤国夫)『創価学会公明党の解明』(隈部大蔵)などの複数の書籍も同様な出版妨害を受けたいたことが判明している。これに対して池田大作は当時週刊誌のインタビューや会見で、「『こんどはおワビしますよ。わたしは、正邪のハッキリしないのは大きらいです。言論、出版問題のこと、ほんとにわたしは何も知らなかったんです。しかし、知らなかったとはいえないし、病気も重なって、出られなかったんです。国会喚問にも、わたしは『応じる』といったのですが、幹部が『会長は何も知らないんだ。何も知らない人が出ては偽証になる』と、とどめるもんで、出られなかったんですよ」

「『言論妨害、言論妨害っていいますが、どこも大なり小なりやっているじゃないですか。親せきのこと、悪くいわれれば、『ヤメテクレ』という程度のことはいうでしょう。『潮』(学会系雑誌)でも、頼まれて記事にするのをやめてあげたこともありますよ』」などと「私は知らなかった」と繰り返し「どこでもやっている」と嘯いている。さらには、「いまのキモチとしては『処女のお嬢さんが、輪姦されたあと、さらに蹴とばされているような気分だ』と女房にいいましたよ』」(以上太字は当時の池田発言)などとおよそ指導者としても仏法者としても似つかわしくない下卑た言葉まで発している。「私は知らなかった」などという子供じみた言い訳を本気で信じるのは洗脳された学会員だけだろう。(もっとも学会員の洗脳が解けなければ池田創価はそれでいいのから世間からしたら嘲笑モノの子供の言い訳程度で十分ではあるが)池田が知らない所で田中角栄まで巻き込んでこんな大掛かりな出版妨害を一体だれができるというのか。もしも本当に池田が知らないのであれば、池田創価に多大な迷惑かけた秋谷・藤原・竹入・矢野などなど複数の創価と公明の幹部は処分されてしかるべきであるはずが当時この問題で処分された者はいない。つまり当時を知る証言者の言葉通り池田の命で動いていたことは明白なのである。本当に池田が何も知らない所でこのような重大な事件が起きたなら池田の組織の長としての資質に大きな瑕疵があるのである。さらに悪質なのが池田は『新人間革命』等で、加害者である自分達をまるで被害者であるかのように装い会員を騙しているのである。これは池田創価の得意とする戦略で2度にわたる宗創問題、そして破門に至る経緯においても加害者であるにも関わらず歴史(史実)を改竄して被害者ヅラをし、多くの創価員は池田創価が創作した改竄された歴史を事実だと思っているのである。そして噴飯モノなのが、この「言論出版妨害事件」ですら【法難】にすり替える池田独特の感受性である。池田にとって【法難】とは「自分が批判されること」なのである。この根底には自分自身が御本仏・日蓮大聖人と同格であるいう思い上がりがあることは見逃せない。「驕慢謗法」は池田に極まると言っていいだろう。さて、池田はこの事件について謝罪はしたものの当然その謝罪は世間や学会員へ対する目くらましであり言論封殺を心から反省したわけはない。池田が反省したとしたらそれは「言論封殺の方法(やり方)」だけだろう。その証拠に創価による「言論封殺」は現在でも続いていることを見れば明らかである。批判者に対しては現役会員であっても容赦なく査問・処分し、或いはスラップ訴訟を起こして彼らの自由な言論を封殺している。しかもそのやり方は「言論出版妨害事件」に反省からか巧妙になっている。『言論出版妨害事件』は半世紀たった現在でも終わっていないのである。あの事件で終わったのは、公明党結党の1丁目1番地であった「国立戒壇建立」「王仏冥合」を放棄して学会員が公明党を支援する理由がなくなったこと。また創価はこの事件を契機に「折伏」を放棄し拡大から縮小のフェーズに入ったということ。そしてこの事件から始まったのが、創価学会が政治権力を求める方向に舵を切り「選挙ファースト」の団体に変貌したことと、それによって公明党は完全に池田創価の言いなりになる政党に堕ちていったことである。創価の「言論戦」とは言論を闘わせることではなく、相手の言論を封殺することなのである。

 

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