創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

創価教学じゃない御書講義(2023年9月座談会御書・御義口伝上)

御義口伝に云く大願とは法華弘通なり愍衆生故とは日本国の一切衆生なり生於悪世の人とは日蓮等の類いなり広とは南閻浮提なり此経とは題目なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者なり。

今月の座談会御書は珍しく『御義口伝』からのチョイス。法華経法師品の「成就大願愍衆生故生於悪世広演此経。(大願を成就して、衆生を愍れむが故に、悪世に生まれて、広くこの経を演ぶ)」の文に対する御指南。法師品のこの文は妙楽大師が法華文句で【願兼於業】と釈し創価指導でもお馴染みだろう。創価風にいえば「妙法流布の為に願って末法に生まれて来た」という意味で現在の苦悩も全て過去世に自分が願ってきた事ということで「自分が願ったのだから必ず悩みは解決する」といった塩梅になる。池田指導では「宿業を使命に変える」というわけで学会活動をすればお悩み解決という事らしい。【願兼於業】について色々と書こうとも思ったけど創価員に法義を語ったところで、犬に星を見せているようなものなので止めて置く。そこで今回は仏の大願について書いてみる。寿量品に「毎自作是念。以何令衆生。得入無上道。速成就仏身。(毎に自ら是の念を作す。何を以てか衆生をして無上道に入り速かに仏身を成就することを得しめんと)」と説かれているように仏は常に全ての衆生(行道不行道)を成仏させることが出来るかを考えている。それに対する大聖人の御指南が【大願とは法華弘通なり】である。つまり一切衆生を成仏せしめるという仏の大願成就の方法は「法華弘通」だということだ。創価講義ではこの「法華弘通」を「広宣流布」というフワっとした言葉で濁す。そして「広宣流布」を拡大解釈して学会活動の全てが広宣流布で学会活動が大願であると会員に教え込むが、かつて池田大作は『御義口伝講義』のなかで当該御文を釈して「大願とは法華弘通なりとは御本尊の広宣流布である。王仏冥合の実現である」と講義している。王仏冥合というのは御本尊流布の結果であるから「法華弘通とは御本尊流布」のことであると池田は明確に正しい指導をしている。つまり公明党の支援活動も聖教新聞の拡販も仏の大願とは無関係な行為という事である。御金言と池田指導を拝せば教団で政党を作らなくても本尊流布をしていけば仏法を持った政治家がたくさん増えるのだから公明党など本来は不要である。しかし池田は王仏冥合の実現の為に公明党を作ったという。それはそれで悪くないが、その後創価による言論出版妨害事件が原因となり「政教分離」の観点から公明党の綱領から「王仏冥合」を削除した。つまり公明党はそれ以来「王仏冥合の実現」を目指さない政党となったわけだ。本来であればこの時点で学会員が公明党を支援する大義名分は消滅した。公明党を支援してもそれは広宣流布王仏冥合の実現)にならないのだから。従って「選挙は信心ではない」のである。逆に選挙が信心というならば王仏冥合を目指すのだから、これは池田創価的には「政教一致」となる。王仏冥合を立正安国と言い換えるような姑息なマネをして誤魔化していけない。王仏冥合と立正安国は同意だ。どちらにしても、池田指導にもあるように法華弘通とは御本尊流布(折伏)のことでそれ以外のことではない。そして流布すべき御本尊は戒壇大御本尊を御歴代上人が書写(開眼)した日蓮正宗の御本尊以外にない。何故なら広宣流布が完了(王仏冥合が実現)した時に本門寺の本堂に掲げられる御本尊は戒壇大御本尊であり、その御遺命を受つでいるのは創価顕正会ではなく日興上人以来の血脈付法の御歴代法主上人だからである。これは大聖人・日興上人の宗開二祖が定められたことだ。創価の諸君の本来の使命は日蓮正宗の正しい御本尊を流布することである。その使命を自覚してこそ【願兼於業】の法理により過去世の悪業が願業に変わるのだ。創価の信心を続ける限り悪業は単なる悪業でしかない。いやむしろ「追い悪業」である。毎月、座談会で御書を学んでいるのだからそろそろ気づいたらどうだろうか?

 

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