創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

御講拝読御書研鑽(2021年4月・開目抄)

大願を立てん日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生をごせよ、父母の頚を刎ん念仏申さずば、なんどの種種の大難出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難風の前の塵なるべし、我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず。

今月の御講拝読御書は「開目抄(下)」でした。開目抄については以前「題号だけの御書講義」という記事を書きました。

題号だけの御書講義①(開目抄)

では、今回の拝読範囲の研鑽をしていきたいと思います。まず【大願を立てん】とありますが、大聖人の立てた大願の内容とは◆御義口伝に云く大願とは法華弘通なり(御義口伝巻上)と言われているように顕正会のいうような「国立戒壇の建立」などはなく「法華弘通」です。これが大聖人の大願ですから当然大聖人の御遺命も「国立戒壇」ではなく「法華弘通」です。何故かと言えば「法華弘通」こそが一切衆生成仏の方法だからです。そして具合的に何を弘通するかといえば「本尊」です。本文で【我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず】とありますが、この部分は「柱=主徳」「眼目=師徳」「大船=親徳」と大聖人が主師親三徳具備のご本仏であられることを明かしていて、この「主師親三徳」とは、◇三徳有縁を本尊と為すべし(末法相応抄下)と日寛上人のご指南にあるように、大聖人の色心二法であり「本尊」なのです。ここでいう「有縁」とは末法衆生に「縁がある」という意味です。この辺については「六巻抄」の学習の時にまた詳しく書きますが、大聖人の色心二法の本尊とは戒壇大御本尊ですから、この戒壇大御本尊に備わる仏力・法力即三徳の功徳を弘通することが大聖人の大願であり御遺命であり我等門下の使命であり誓願です。そして「法華弘通(折伏)」の上で大切な心構えを【智者に我義やぶられずば用いじとなり】と言われています。もとより大聖人の法門法義が他者に破られることはありません。それは700年来の宗門の歴史を見ても明らかです。それを確信することが破邪顕正折伏を行う上でのキモです。折伏・対論で反論できないことも有るかもしれませんが、それは自身の勉強不足だけの話であり決して大聖人仏法の法門法義が不完全なわけではないのです。その時に自分が反論できなくても学べば必ず邪義を破折することができますから自信をもって破邪顕正折伏を実践していくことが大切です。さて今回は、法華経をすてて観経等について後生をごせよ、父母の頚を刎ん念仏申さずば、なんどの種種の大難出来すとも】の部分を深堀りしたいと思います。今回拝読部分の直前に◆善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべしと書かれていますが、当該部分を日寛上人は文段の中で◇「『日本国の位を譲らむ』とたばかるは善につけてなり。『父母の頸をはねん』とおどすは悪につけてなり。是れ世間の極善・極悪を挙ぐるなり」と解説されています。「謀り」と「脅し」とはまさに創価や顕正などが会員に対して行う常套手段ですね。「この信心(創価の信心)をすれば必ず幸福になる」とたばかり、「創価を辞めたら地獄に落ちる」と脅すわけです。それはさて置き私が今まで見て来たり自分を振り返る時に思うのは信心が停滞してしまう原因は「善悪」二つのパターンがあって二つのタイプの人がいます。自分の願いが叶ったり悩みが解決したり又仕事や遊びが充実して楽しくなると信心が疎かになってしまう「善につけて信心が停滞するタイプ」と悩みがたくさんあって毎日が苦しくなったり精神的に弱ってしまうと「信心なんてしている場合じゃない」といって信心が疎かになる「悪につけて信心が停滞するタイプ」です。私はどちらかというと「善につけて停滞するタイプ」かもしれません。だから日々の苦悩がなくならないのかな?なんて思います(涙目)どんな時でも信心を根本にすることが大切ですよね。苦悩の最中でも大聖人を信じ歯噛みしながら題目を唱え、功徳に溢れていたら報恩感謝の心で題目を唱える。◆苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へこれあに自受法楽にあらずや(四条金吾殿御返事)これが信心というものなんだと今更ながらに思います。またいかなる理由があろうとも末法の主師親三徳の当体である戒壇大御本尊を捨てれば地獄の業を積みます。仮に創価本尊でも功徳が出たとしても戒壇大御本尊を捨てれば地獄行きの業を積むわけです。創価本尊で功徳が出るから大御本尊は必要ないなどいうロジックは間違っているし通用しない。それが大聖人の御妙判なのです。ともあれ我等大聖人門下は楽しくても苦しくても自行化他の唱題を重ね大聖人の大願を受け継いでいくのが大切で、そこに即身成仏・一生成仏があるのです。私もそのことにようやく気が付きつつあるところまではきました。なので最近では「飲む前に夕勤行」ができるようになりました(笑)


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