創価ダメだしブログ

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「夕張炭労事件」と現在の創価学会。

池田創価史に「夕張炭労事件」という歴史がある。『小説人間革命』にも書かれているが、この直後に池田創価ご自慢の自称権力との闘争(単なる選挙違反)である「大阪事件」につなっがていくので「夕張炭労事件」は「大阪事件」のオマケのような扱いで語られることは少ないので今時の創価員は知らない会員も多いだろう。もっとも今となっては「夕張炭労事件」は語らない方が身のためかも知れないが。事件の概略は1956年(昭和31年)に行われた第4回参議院選挙に端を発していて、それまで炭労の候補者に投票していた夕張の創価学会員が創価推薦候補を支援したことにより夕張炭労の2500票が創価推薦候補に奪われ炭労側が創価の組員に対する弾圧が行われたというものである。当時の炭労全盛期で強大な権力を持っていて組合に逆らうことは経済的な基盤を失うことを意味していた。創価の歴史の中でいえば初めて創価学会(員)が政治的権力に弾圧を受けた事件といえる。昭和32年池田大作が現地に派遣され炭労との対決に勝利し「夕張炭労事件」は一応の終結をみた。「大阪事件」はその直後に発生した事件である。さて、池田はこの「夕張事件」について『小説・人間革命』の中で、「一九五六年(昭和三十一年)七月の参議院議員選挙で、創価学会推薦の全国区候補である関久男が、夕張市内で二千五百余票を獲得した。夕張炭鉱労働組合は、組合推薦の候補の票が、それだけ食われたものとして、学会を憎み始めた。以来、学会員は、組合の統制を乱すという理由で、組合幹部から、陰に陽に排斥され始めたのである。しかし、いかに炭労といえども、個々人の選挙権の行使まで、統制することはできないはずである。それは、各人の選挙権の侵害になることは、言うまでもない。ところが炭労は、学会は労働者の団結を破壊しているとして、会員に、にわかに圧迫を加え始めたのである。」と記述している。至極当然で常識的な真っ当な記述である。もちろん選挙だけが創価と炭労の対決を生んだ要因とは思わない。選挙以前の折伏活動なども恐らくは遠因となっていたと思うが、草創期の夕張の学会員が炭労権力によって迫害されたいたことは事実であろう。そんな「夕張炭労事件」から半世紀以上が経過した現在。まさか創価学会が炭労と同じになってしまうとは当時の「夕張事件」に関係した学会員は夢にも思わなかっただろう。ここ数年間というものは公明党を非難したり公明党支援に非協力的な会員を査問し処分し非難しているのが今の創価本部である。それまで真面目に学会活動に勤しんできた会員すらも公明党を批判をすれば「組織の統制を乱す」という理由で追放され村八分にされ仏敵と呼ばれる。まさしく現在の創価本部のあり様は60年余り前の夕張炭労が学会員に対して行ってきた迫害を創価組織の内部同士で行っているのである。迫害する側もされる側も同じ創価学会員なのだから夕張炭労事件よりも酷いし悲惨である。池田は「個々人の選挙権の行使まで、統制することはできないはずである。それは、各人の選挙権の侵害になることは、言うまでもない。」と言っているが、創価は組織による各人の選挙権の侵害はいうまでもなく、「謗法」等の教義的な理由でなく選挙(政治)を理由に除名・活動停止等の処分を行うことは「信教の自由」すら会員から奪うのだから宗教法人の皮を被った「非人権団体」であると言ってよいだろう。「権力との闘争」などと創価は言うが今となっては創価組織そのものが権力である。しかもその権力を仲間(同志)に対して行使しているのある。そして創価組織に言われるままに活動をし同志を誹謗中傷する罵活動家は創価権力に屈した臆病者なのである。聞くところによれば創価では早くも総選挙に備えて「選挙活動」が始まったらしい。また全国で処分される会員も発生するだろうが、「夕張炭労事件」を教訓とするなら自己の選挙権を行使しそれで処分される会員の方が池田指導に合致した正しい創価信心・創価学会員といえるだろう。もっとも創価信心自体が正しい仏法でないことは最近の創価の「自界叛逆難」を見れば明らかであるから本当に正しいのは創価を退会するという選択だと思う。

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