創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

法華講員のための顕正会破折の基礎知識⑥(正本堂問題)

妙信講(顕正会)が宗門から講中解散処分をされた直接の原因となったのが正本堂だ。これらの経緯については元顕正会法華講員さんさん達が詳細を発信しているが、「日達上人や池田創価正本堂を大聖人の御遺命の戒壇である意義づけたことは御遺命破壊の謗法である」というのが浅井顕正の主張である。しかし、昭和39年の池田大作が発願し昭和40年2月16日に第1回目の正本堂建設委員会においての日達上人の御指南は、

◇したがって今日では、戒壇の大御本尊を正本堂に安置申し上げ、これを参拝することが正しいことになります。 ただし末法の今日、まだ謗法の人が多いので、広宣流布の暁をもって公開申し上げるのであります。ゆえに正本堂とはいっても、おしまいしてある意義から、御開扉等の仕方はいままでと同じであります。したがって形式のうえからいっても、正本堂の中でも須弥壇は、蔵の中に安置申しあげる形になると思うのでございます。(中略)しかし、じっさいには将来もっと大きく考えて、この地に大正本堂ができたならば、天母山になんらかの建て物を造ってもよいと思われます。

であり、また昭和47年4月28日の訓諭においても

正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。即ち正本堂広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり。但し、現時にあっては未だ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須弥壇は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり。

というものでありどこにも正本堂=御遺命の戒壇といった箇所はない。池田大作正本堂を御遺命の戒壇であると宗門に認めさせようと陰に陽に画策していたのは事実だし当時の宗門僧俗が折伏の圧倒的な拡大により広宣流布は近いと感じていてそうした雰囲気が宗内にあったことも事実だろうが実際には正本堂が御遺命の戒壇であると断言されたことはないのである。訓諭で「事の戒壇」と言われているのは大御本尊(法体)に約して言われているであり「事相の戒壇」と言われているのではない。事実、正本堂須弥壇は蔵の形式であり、大石寺を本門寺に改名する話も聞こえないのだから浅井の言うように宗門が正本堂を直ちに御遺命の戒壇と意義付けたことなど一度もないのである。そもそも浅井達妙信講も、昭和40年の時点では、

広宣流布をめざして折伏弘通に邁進する中に、戒旦の大御本尊様を御安置申し上げる正本堂建立の発表をお開きして、この千載一遇の御奉公にめぐり合える我が身の福運を心から喜んでおります。(富士」昭和40年6月号)

広宣流布をめざして折伏弘通に邁進する中に、戒旦の大御本尊様を御安置申し上げる正本堂建立の発表をお開きして、この千載一遇の御奉公にめぐり合える我が身の福運を心から喜んでおります。大客殿建立の折にも自分なりに真心をこめた御供養をわずかではありますが、させていただきました。思えば今日の歓喜にみちた生活は、常に持に叶った正しい仏道修行によって築かれている事をひしひしと感じ、今回に御供養にもカいっぱい御奉公申し上げようとその日を待っています。(「富士」昭和40年7月号)

などといって正本堂建立を歓迎し御供養まで募っている。後年、浅井昭衛は、

正本堂の御供養には妙信講も参加した。今日から見れば、なぜこれに参加したのか不思議に思う人もいようが、当時はまだ誑惑が顕著ではなかった。少なくとも、管長猊下は一言も正本堂を御遺命の「事の戒壇」などとは云われず、もっぱら戒壇の大御本尊を安置し奉る建物であることだけを強調し、「供養の誠を捧げよ」と、宗門の全僧侶・信徒に呼びかけておられたのである。(「冨士」昭和61年8月号)

などと妙信講による正本堂供養を正当化しようとしているが、それ以前には同じ口で、

□時は昭和四十年二月十六日、正本堂建設委員会において同上人(日達上人)は、正本堂が御遺命の戒壇に当る旨の説法をされたのである。(「冨士」昭和52年8月号)

と発言している。浅井の二つの言を会通すると昭和40年2月16日の日達上人の御指南は、「正本堂は御遺命の戒壇だと日達上人は説法したけど私(浅井)はその時に誑惑に気が付かずに御供養を募ってしまった」ということになる。そうだとすると浅井昭衛というのは相当に知能が低いと言わざる得ない、もちろんいくら浅井とはいえ、そこまで莫迦ではないだろうから、後先考えず目先だけ誤魔化して会員を騙そうという浅井のサル知恵で墓穴を掘ったのだろう。要するに浅井顕正(妙信)の正本堂に関する疑難は単なる言いがかりに過ぎない。私の想像では浅井は池田創価のようになりたかったのではないか?法華講連合会になる事を拒否したのも創価の様に自由にやりたっかっただけ。ところが池田創価と妙信講ではその規模は雲泥の差があり池田大作のライバルにすらなれなかった。そうした池田創価に対する羨望と嫉妬。そして池田創価を大切にする宗門への逆恨みが浅井顕正(妙信)の反逆の動機ではないと思う。正本堂はそのきっかけに過ぎない。いづれにせよ、浅井の言うような御遺命破壊など後にも先にも一切ないのである。そもそもが既に正本堂は解体された。その折、浅井昭衛は【御遺命守護完結奉告式】なるものを開催し、「ついに御本仏の御威徳により誑惑は根底より清算され、不敬は完全に解消されたのであります。」「すでに不敬は解消しまたいかなる大地震にも大御本尊様は御安泰、今や後顧の憂いは全くなし。」と発言し、さらにその月の幹部会では、顕正会は今の宗門にはもう求める何ものもない。不敬さえ改称されればそれでよい、いかなる大地震にも大御本尊様が御安泰であればもう後顧の憂いはない。」とまで言っている。つまり正本堂が解体された以上は顕正会としては宗門に対して何の文句もありません」と言っているのである。それはそうである。顕正会正本堂を御遺命の戒壇と意義付けるのがけしからんといって発生した団体なのだから、その正本堂がなくなれば顕正会の存在意義も消滅する。なのに未だに解散もせず正宗誹謗を続けている顕正会を見れば、正本堂に対する疑念がいかに嘘っぱちでチンピラの言いがかりレベルであることが知れるというものだ。正本堂がなくなったら今度は血脈否定。浅井昭衛はそれらしい屁理屈をこねているが結局は大聖人の仏法は「後付け」で自分が池田大作の様に会員を騙して尊敬され贅沢をしたいだけなのである。顕正会日蓮正宗の信徒団体として許され戻れることは絶対にない。顕正会員の皆さんには一日も早く顕正会を退会し戒壇大御本尊の許へ戻る事をお勧めする。浅井の言う「誑惑の根本である正本堂」はもうないのだから。

 

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