創価ダメだしブログ

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法華講員のための顕正会破折の基礎知識⑦(御開扉への誹謗)

浅井顕正会の正宗誹謗のひとつとして御開扉に対する誹謗がある。曰く「不敬・危険な御開扉を即時中止せよ 大御本尊を営利の具とするは無道心の極」(顕正新聞平成30年11月5日号)だそうだ。浅井顕正が御開扉への誹謗を突如として始めたのは平成12年の事だ。きっかけとなったのは正本堂の解体である。正本堂解体に関する浅井昭衛の「たばかり」の数々は別の機会に詳しく書くが、平成3年の顕正新聞紙上で浅井は、【いま顕正会も、御遺命守護の御奉公のゆえに登山を妨害されてすでに歳久しい。しかしこの重大な御奉公を命かけて成し遂げたとき、必ず大聖人様の御意に叶って登山が叶うことを、私は確信しております。その時こそ全顕正会員ともに手を携え晴れて涙の中に、戒壇の大御本尊様にお目通りをさせて頂こうではありませんか。】などと宣っていたが正本堂解体されても顕正会の大御本尊へのお目通りは叶わない。浅井の平成3年の確信は大外れ。そこで浅井昭衛は「御開扉は不敬であるから中止せよ」などと言い出したわけだ。「涙の中に戒壇大御本尊にお目通りさせて頂こう」と言ってたヤツが「御開扉は不敬」などと言い出すのだから浅井も池田大作に負けず劣らぬ両舌のペテン師である。さてそんなペテン師・浅井が御開扉誹謗に持ちだす文証は、日亨上人が『富士日興上人詳伝』の中で書かれている、

◇開山上人は、これを弘安二年に密附せられて、正しき広布の時まで苦心して秘蔵せられたのであるが、上代にはこのことが自他に喧伝せられなかったが、いずれの時代からか、遠き広布を待ちかねて、特縁により強信により内拝のやむなきにいたり、ついには今日のごとき常例となったのは、もったいない事である……開山上人より三祖日目上人への富士総跡の御譲り状にも『日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊』として、戒壇本尊とは書かれなかったのは、大いにこの味わいがある

の一文である。この文中の「密附」「秘蔵」の言葉尻を捉えて御開扉をするなと言っているのだが、この文章を読めば日亨上人が御開扉を中止せよなどと言われていないことは明らかである。密附の秘仏を内拝出来ることは我々信徒にとって非常に「もったいない」=「ありがたい」事である。と言われているのは中学生レベルの読解力があれば読み取れるだろう。上代戒壇大御本尊が自他に喧伝されなかったのは唯受一人相承なのだから当たり前の話で、日興上人・日目上人の時代に御開扉がなかったというのも浅井の妄想で何の根拠もない。開山・三祖の時代に御内拝(御開扉)が無かったというのであれば文証を挙げて証明せよ。日寛上人は『寿量品談義』の中で、

◇未だ時至らざる故に直ちに事の戒壇之れ無しと雖も、既に本門の戒壇の御本尊存する上は其の住処は即戒壇なり。其の本尊に打ち向ひ戒壇の地に住して南無妙法蓮華経と唱ふる則は本門の題目なり。志有らん人は登山して拝したまへ

大石寺に登り戒壇大御本尊にお目通りせよと御指南されている。つまり日寛上人の代にはすでに御内拝は行われていたのである。浅井顕正は日寛上人をも否定し誹謗するのかどうなのだ?また、御開扉は不敬などと言っているが過去に浅井甚兵衛が嘆願書まで書いて御内拝を願い御開扉を受けていた事実はどう釈明するのだ。

▼本日このめでたい正月五日に登山のおまねきを賜りました。只今、三千達成の御報告を本門戒旦の大御本尊様に申し上げました。(拍手)(冨士昭和39年1月号)

▼渇仰の思いであった御開扉は第六十六世日達上人猊下の大導師のもとに午后一時三十分から奉安殿で行われ、講頭先生(浅井甚兵衛)を中心とした一同は熱い感涙にむせんだ。(冨士昭和39年8月号)

▼九千突破の中に迎えた期を画する妙信講の総登山は、絶好の天候にめぐまれた八月二十八日(土)勇躍の講員二千百名が参加して盛大に挙行された。この総登山は、昨年十月の六年ぶりの総登山以来、一万達成までは再ぴ戒壇の大御本尊へのお目通りは叶わぬものと、ひたすら大法弘通に選進する中に、はからずも貌下よりお許しを給わったもので、講員一同の感激は一通りではなかった。(冨士昭和46年9月号)

また、浅井甚兵衛は

▼「私共の思いには、御開扉を許す許さぬは、昔より血脈の御一人の為されるところにして、一般僧侶すら口にする所ではないと。」(顕正会「試練と忍従」の歴史)

とも言っている。然るに昭衛は破門された異流儀のイチ凡夫に過ぎない分際でありながら御開扉に関して嘴を挟み法主上人を誹謗するなどという行為は、父・甚兵衛の言葉をすら否定する親不孝そのものである。父・甚兵衛を無間地獄から救いたいのであれば早くその口を閉じ懺悔するがいいだろう。それにしても池田創価も同じだが、謗法を犯し戒壇大御本尊にお目通りの叶わなくなった異流儀信徒たちは正宗の御登山・御開扉にケチをつけたがる。正宗に対する嫉妬と自会員に対する洗脳に躍起になっているその姿は哀れなほど滑稽である。誹謗の内容も、御登山・御開扉を「金儲けに利用している」という信仰者とは思えないゲスな話なのだから会員が可哀そうで涙が出てくる。御開扉料とは冥加料である。我々信徒は、戒壇大御本尊の冥加に対する感謝の気持ちで御開扉料を納めるのである。その冥加料や御供養を「金儲け」の手段としか思えないのは自分達が「金儲け」のことしか考えていない証拠である。大聖人は信徒に対し参詣を促す手紙を送っていたが、大聖人は供養が欲しくて信徒に参詣を促していのかね。御開扉を金儲けなどいって誹謗する浅井顕正会こそ戒壇大御本尊への不敬なのである。ともあれ、浅井甚兵衛が言うように御開扉に関しては法主上人がお決めになることである。浅井昭衛のごとき謗法の部外者がどうこう言う話ではない。また顕正会員も戒壇大御本尊への恋慕の心が本当にあるのなら顕正会を退会し正宗に移籍し法主上人に許しをもらい戒壇大御本尊へお目通りしたまえ。顕正会でいる以上、お目通りはできない。浅井昭衛の「たばかり」にいつまでも騙されいる場合ではないのだ。一生空しく過ごして万歳悔ゆること勿れ

 

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