水あれば魚すむ林あれば鳥来る蓬萊山には玉多く摩黎山には栴檀生ず麗水の山には金あり、今此の所も此くの如し仏菩薩の住み給う功徳聚の砌なり、多くの月日を送り読誦し奉る所の法華経の功徳は虚空にも余りぬべし、然るを毎年度度の御参詣には無始の罪障も定めて今生一世に消滅すべきか、弥はげむべし・はげむべし。
今月の御講拝読御書は『四条金吾殿御返事』からの御文です。本抄は金吾殿の所領地の信州殿岡から大聖人への白米の御供養に対する御礼のお手紙で別名『殿岡書』と呼ばれます。さて今回の御文は登山・参詣の御指南ですから創価の座談会では絶対に取り上げないし創価としては出来る限り会員に読ませたくない御文です。その証拠に本抄に関する創価の講義的なことはネット検索してもほぼありません。なにせ創価では大石寺を【謗法の地】といってますが本文ではその創価のインチキを見事に破しています。この御文と同意の御指南は『南条殿御返事』にも書かれています。
◆かかる・いと心細き幽窟なれども教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し・日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり、されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の所・喉は誕生の処・口中は正覚の砌なるべし、かかる不思議なる法華経の行者の住処なれば・いかでか霊山浄土に劣るべき、法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊しと申すは是なり
二つの御文を拝すれば大聖人の色心二法が在す場所が霊山でありその場所が功徳聚の砌であるということです。大石寺を「謗法の地」というのは即ち戒壇大御本尊を「謗法の本尊」というのと同じです。法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊しだからです。創価罵活動家はこんな基礎教学も知らずに功徳を積む機会を逃すどころか間接的にでも御本尊誹謗をして罪業を積んでいるわけです。さて本文にあるように大石寺は日興上人爾来御歴代上人とその弟子檀那が700年以上に亘り勤行・唱題を申し上げてきた場所ですから奉安堂の内部のみならず、境内の空気・空間にも功徳が有り余っているのです。ですから仮に御開扉を受けることのできない大謗法者の学会員や顕正会員であっても大石寺に参詣し境内を歩けばその功徳に浴することができます。そんな素晴らしい場所が大石寺です。法華講員としては未入信で御開扉を受けられない家族・友人でも大石寺に連れて行くだけで意義がありますよね。そしてこのような功徳聚の砌は総本山だけとは限りません。各地の日蓮正宗寺院又戒壇大御本尊の分身散体の御本尊を御安置し歴代の御住職や御信徒が勤行・唱題を重ねてきた場所ですから寺院もまた功徳聚の砌です。日寛上人は『寿量演説抄』のなかで、
◇日日に参詣して南無妙法蓮華経と唱へ奉れば、一足一足の裏に寂光の都は近づくなり。一辺一辺に大山大海の如くなる仏身を、我が己心にこしらえ立つる程に随分に参詣唱題肝要なり(歴代法主全書4巻)
と御指南されています。このように寺院参詣にもまた大きな功徳があります。さて、創価は正宗の御僧侶が「登山・参詣しないと成仏できない」と言っているかの如くデマを吹聴していますが実に無慚極まりありません。創価の戸田2代会長は、「なんといっても、御本山に登り、親しく大御本尊様を拝まなくては、本物の信心にはなれない。こんなありがたい御本尊様を、わずかな御開扉供養で拝むことのできるのは、当本山であればこそであり、まことにもったいないことである。」(戸田城聖全集第3巻)と指導しています。まさにこれは多くの元創価の法華講員が戒壇大御本尊にお目通りして実感していると思います。大御本尊から離れ創価の偽物信心しか知らない会員には登山・参詣の意義など理解出ないでしょう。登山も参詣も信徒の自由です。しかし戸田会長の言うように「本物の信心」になれば自然と登山・参詣するものなのです。「昔の大石寺と今の大石寺が違う?」御歴代上人が変ろうとも堂宇が変ろうとも、いまも昔も戒壇大御本尊は厳然として大石寺に存します。つまり今も昔も功徳聚の砌に何の変りもありません。最後に、本抄は身延で書かれましたが「身延山が功徳聚の砌」と言われていないところに、大聖人が身延を御遷化の場所に選ばなかったことと併せて実に味わいのある御文です。
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