創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

御書に書いてない⁉池田創価のインチキ法門⑥「日蓮大聖人直結」

創価学会は大聖人直結の団体」だと創価の与太話を信じている創価学会員は大勢いる。この「大聖人直結論」は破門後に言い出したのではなく、52路線時に既に池田大作が、「日蓮大聖人の正真正銘の門下であるならば、日蓮大聖人の振る舞いと、その精神を根本にすべきなのであります。それは、途中の人師、論師ではないということなのであります」(池田講演S52.2.17)と発言し、後日『特別学習会テキスト』でこの発言の教義逸脱を認め弁明している。それを破門後にまた持ち出したのだ。

特別学習会テキスト

もっとも現在の創価学会の言ってることはほぼ52路線の逸脱教義の蒸し返しで、一度は創価が非を認め謝罪した内容だ。池田は大石寺の血脈に関して神秘的でナンセンスと言っていたが、寧ろ日蓮大聖人の御書を読むだけで直結するという主張こそオカルトでナンセンスだろう。こんなオカルトが通じるなら『古事記』を読んで理解したから私は天照大神と直結だからと言うようなモノである。また御書を読んで題目あげれば直結ならば、顕正会や正信会も大聖人直結の団体なのか?そもそも大聖人が直結信心ならば創価学会に永遠の指導者など不要だろう。いかに池田大作のバカなのか良くわかるというものだ。もちろんそれに騙されている創価学会員は池田以上のバカだろう。大聖人は「よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成べからず」(華果成就御書)と師弟相対の重要性を御指南され、日興上人は「この法門は師弟子を正して仏に成り候。師弟子だにも違い候へば、同じ法華を持)ちまいらせて候へども、無間地獄におち候也。(中略)聖人の御後も、末の弟子どもが、これは聖人の直の御弟子と申やから多く候。これが大謗法にて候也」(佐渡国法華講衆御返事)と大聖人が御入滅後に「自分は大聖人の直弟子だ」という輩は大謗法だと断じている。また近代の法主上人も、「(本師の滅後になると)動(やや)もすれば、なにかの感情で事を宗義に托して、自分は何某の弟子でない、信者でない、添けなくも宗祖大聖人の御弟子である、と云ふ反逆児ともいはるべき者が出現する」(第59世日亨上人)、「此の頃信心相承を振り廻す人があるが御笑ひ草である。仏家付嘱の儀が信心の有無によるなんどは世の末の議論である」(第65世日淳上人)と、信心の血脈のみの相承や直結信心を主張する人間を厳しく断罪している。創価以外にも異流義に陥った邪教の者どもは、宗祖直結を言い出すことが多い。それは逆に言えば自教団が日蓮大聖人とは何の関りもないということを自白しているのと同じだ。大聖人が六老僧を本弟子に定めたのは、身勝手な直結信心を戒め師弟相対の信心を厳守されるためだ。大聖人は六老僧を御自身の代理とてそれぞれの弟子檀那に指導していくことを命じたのだ。大聖人が定めたこの方程式は大聖人滅後も同じなのである。日有上人の『化義抄』にも、「手続ぎの師匠の所は、三世の諸仏高祖已来代代上人のもぬけられたる故に、師匠の所を能よく能く取り定めて信を取るべし、又我が弟子も此くの如く我に信を取るべし、此の時は何れも妙法蓮華経の色心にして全く一仏なり、是れを即身成仏と云うなり」と書かれいる。そもそも池田大作自身がかつては、「すなわち五老僧達は、"自分は日興上人の弟子などではない。大聖人の弟子である"とし、日興上人に信順できなかった。さらに迫害を恐れ『天台沙門』とさえ名乗った。その根底は、日興上人と対等であるなどという傲りであり、嫉妬であり、保身に堕した卑しい感情であった。日亨上人は、反逆の徒は常に、こうした感情を言葉巧みに正当化していくものであると御教示されているわけである」(『広布と人生を語る第10巻』)と言っていた。図らずとも池田は自分の過去の言葉で自分自身が、「傲り」「嫉妬」し「保身」に堕した「卑しい」人間であることを認めたのである。「大聖人直結」なという創価学会員もまた池田と同じ卑しい人間である。そしてそんな「卑しい人間」を量産するのが創価学会の信仰なのだ。

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