信仰をしていない人は、祈っている時間が無駄という考えがあります。例えば私は日蓮正宗の信徒ですから、毎日の宗教行為は、朝と晩に読経(勤行)と唱題で、唱題を除いた勤行の所要時間は1時間足らずです。日蓮正宗に限らず何か宗教をしている人達は、その宗派の決まりに則て毎日なにがしかの宗教行為をしていると思います。宗教をしない人やアンチ宗教の人達から見たら、そうした時間は無駄に見えると思いますが、宗教者は決して無駄だとは思わないし、むしろ有意義な時間だと思っています。その時間を無駄と言っている人はその1時間を有効利用できているのでしょうか。もしも、私が無宗教で勤行もしなかったとして、その1時間という時間を有意義な時間に使うかと問われれば、答えは「NO」です。私と同世代の無宗教の友人は、最近朝早く目が覚めてしまうらしく、やることがないので朝4時から『暴れん坊将軍』を視ているそうです(笑)。その話を聞いた時にはもちろん「だったら信心やって朝の勤行しなよ」と言っておきました。暇つぶしにTVを視てるくらいなら、仏壇の前に端座して読経をして唱題していた方が私には有意義に思えるのです。最初は面倒くさいかもしれんせんが、朝から姿勢を正して仏様に向かい今日一日の安穏無事を祈ったり、一日のスケジュールを心の中で整理したりしていると一日が清々しく始められます。夜は今日一日に感謝し、嫌な事も楽しいことも仏様に話してスッキリして終える。そういう時間を毎日設けることは人生にとって有意義ではないでしょうか。また「祈っても願い事など叶わないのだから無駄」という意見を言う人も沢山いますが、それは宗教の一部分だけしか見ていない意見です。宗教とは願い事を叶えることが全てではありません。願いが叶わない行為が無駄というなら、プロ野球選手になりたくて猛練習したり、東大に入学したくて猛勉強した挙句にプロ野球選手や東大生になれなかった人のそれまでの猛練習・猛勉強の時間は無駄だったのでしょうか。私は決してそうは思いません。信仰も同じで、願い事が叶わなかったとしても、それまでの祈りは徳として積まれ、いつかその徳が役に立つ時が来ます。そもそも人生は無駄な時間で成り立っているのです。仕事だって恋愛だって無駄を積み重ねてこそ結果がでるのです。効率だけを求めた仕事や恋愛は必ず失敗します。だから信仰を無駄だと切り捨てないでやってみる価値はあります。価値があるからこそ世界中の多くの人が信仰をしている現実があるのです。『星の王子様』の中でキツネが王子様に「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。肝心なことは、目に見えないんだよ」というセリフがあります。信仰という目に見えないものを「時間の無駄」と切り捨ててしまうと、人生の肝心なことが見えなくなってしまうと思います。もちろんカルト宗教に騙されたら何もかも無駄ですけどね。「そんなこと言われても宗教は沢山あるからどれがカルトかわからない」という貴方には日蓮正宗がおススメです(笑)。
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