創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

ナダルさん対論するならこのスレでお願いします。

昨晩と今朝、SNS創価男児さんと短いやり取りしてて昨年末に創価男児さんとの対論が終わったらナダルさんとも対論するという約束を思い出しました。ナダルさんからも何も言ってこないので彼も忘れているとは思いますし彼は書き逃げコメント専門の創価民さんなので本当に対論をしにくるかは分かりませんけど、思い出してしまった以上は約束を違えるわけにもいきませんので、ナダルさんとの対論専用スレを一応立てておきます。対論のテーマは【日精上人が生涯造読家であったか否か】でしたね。ナダルさんは日精上人は一生涯にわたって造読家(造仏・法華経一部読誦思想の人)であるという主張をしています。そのような主張をすることによって日精上人を謗法の法主であるとして日興門流・日蓮正宗の血脈相承をどうしても否定したいようです。もちろん私はナダルさんの主張を斥ける立場です。今更、日精上人誹謗を持ち出してどうするのなぁと内心思ってますが(言っちゃってるけど)創価男児さんもそうですが最近創価教学を学びだした駆け出しさんには日精上人の話は目新しいようです(笑)さて、ナダルさんからのこの件に関する最後のコメントは(以下太字がナダルさんのコメント)

▼右の一巻は予法詔寺建立の翌年仏像を造立す。これに因て門徒の眞俗疑難を致す故に、蒙霧を散ぜんが為、廃忘を助けんが為に、筆を染むる者なり

この末文をどう読むのか?

単なる記録だと言えるのか?

なぜ登座後そのような書物を著す必要があったのか?

と日精上人の「随宜論」の末尾を引用したコメントになっています。そこでまずはナダルさんには、この「随宜論」の御文を詳しく解説して【日精上人が生涯にわたり造読家であった】という論証をしてもらいたいと思います。それを読んだうえで私の方から反論します。そんなわけで本当にナダルさんが対論をする気があるならば、最初のコメントでまずはナダルさん自身が学会員であることを宣言したうえで「随宜論」の上記の御文を解説して日精上人が生涯にわたり造読家であったことを論証してくださいね。もちろんいつものようにバックレても構いません(笑)それはナダルさんにお任せします。それと、ナダルさんが対論をするかどうかわからないので今のところコメントスレを別枠で立てる予定はありませんので他の読者の方も本スレにコメント入れてください。そう言う事でナダルさん、約束通りスレ立てましたからね。あとは貴方にお任せします。


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