創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

鯛焼き支部長とのインチキ「対論」?の感想。

創価鯛焼き支部長との対論は序盤で終わってしまい拍子抜け。もっとも「対論」でもないんでもなかったけどね。鯛焼き支部長はお仲間よりもう少し「対論」を知ってるのかと思いきや単なるインチキおじさんだったのには少しガッカリした。お互いの主張を言い合うのは「議論」であって「対論」ではない。「対論(法論)」とは仏法上の正邪を決することで折伏と同じなんですよ。では大聖人仏法においてはどうやって正邪を決するのかというと、

◆但し法門をもて邪正をただすべし(唱法華題目抄)

と「法門」をもって正邪を決するべきであると大聖人は言われている。そして「法門」の根拠・証拠として、「文証」をもって正邪を正すというのが大聖人の弟子の正しい姿勢でなんですね。そして「文証」によって論証できない主張を、

◆玄の三に云く「文証無き者は悉く是れ邪偽彼の外道に同じ」(真言見聞)

◆文証の所出を知らず我意の浮言ならば之を用ゆ可からず(法華真言勝劣事)

◆文証無からんをば捨てよとなり(聖愚問答抄上)

「文証が無ければ邪義でありそれを主張するのは外道である」「文証が無ければ我見の浮言だから用いるな」「文証のない主張は捨てなさい」と大聖人は言われている。大聖人自身もまた他宗の僧俗を折伏するのに「文証」を用いて決して自分勝手なことなど主張していないのです。さて、今回鯛焼き支部長との争点となった日精上人の「年譜」に書かれている文章に対して、私は「年譜に書かれている事と全く同じ文章」が書かれている日辰の2冊の書からその文証を引用し、更には傍証として日寛上人の御文も引用した。「年譜」と「日辰の書」に同じ文章があるのだから、「年譜に書かれている文章」=「日辰の主張」であるというのは自明の理であってこれ以上具体的に私から論証する必要はない。そもそも「文証」=「具体的な証明」なわけだから。そこでその反証として鯛焼き支部長に「年譜」の文章と同じことが書いてある日精上人の「文証」の提示を要求したが支部長は散々ゴチャゴチャ言った挙句に出してきたのは日精上人の「随宣論」からの全く関係ない文章でした(笑)しかも「年譜に書かれている文章についての文証」を求めているのに「造仏の文証」だと言って出してきたわけで、これは論点のスリカエでしかない。鯛焼き支部長も大口叩いて割には質問スルーに論点スリカエ。最初に決めたルールも守れず謝罪もできないような「創価インチキおじさん」だったのは残念でならない。その後自分で引用した「随宣論」の御文を勝手に自分で解釈して無理やり「年譜」の論点にこじつけようとしたが、そもそも「文証」というのは「証拠」なのだから、それをまた勝手に解釈したら今度は「そのように解釈できる文証を出せ」という話になる。つまり、「自分で解釈を付けなければ通じないような御文は対論では証拠(文証)」とは言わないのである。こんなことは通常の人間であれば当然理解できる話だろう。鯛焼き支部長がやったことは

◆実経の義を用いず或は少し白義に違う文有れば理を曲げて会通を構え以て自身の義に叶わしむ(守護国家論)

と大聖人が指摘している用に「自分の主張(義)と違う文を自分勝手に解釈(会通)して自分の主張(自身の義)に合わせていく」という大聖人仏法の信仰者を自称する人間にとって実に恥かしいことだ。でも実はこれが今の創価活動家のレベルなんです。「文証」の意味も理解できずに「切文」を使い「文証を自義」に合わせていく。この手口がいまの創価の手口なんですね。だからこのような「インチキ創価民」の「イカサマ話法」に惑わされないように気を付けてください。創価民の主張はしっかり問い詰めていくとことごとく文証のない邪義です。つまりヤツラは「文証によらない己義を構える外道なんです」そんな禅宗の者を大聖人は、

◆非学匠は理につまらずと云つて他人の道理をも自身の道理をも聞き知らざる間暗証の者とは云うなり(諸宗問答抄)

と破折してます。「仏法の法門も知らない(非学匠)者は自分勝手な事しか言わないから理論に詰まることはない」そりゃそうですよね。屁理屈だけならいくらでも言えますから(笑)でも最初に書いたように「対論(法論)」とは屁理屈を言い合うことではなく「法門によって正邪を決めること」ですからね。支部長たろう人がこんなことも知らないで「対論」なんて口にしていたとは創価活動家のレベルも知れるというものです。どうりで「本尊義」の「対論」からみんな逃げると思ったら、なるほどこういう事ね。と今回の鯛焼き支部長との「対論モドキ」で納得しました。しかし、まともに法門の話が出来る学会員はいなくなりましたね~。


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