創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

創価批判本から探る池田創価学会の実像。

ここ2年ほど昔の創価批判本を読んでいる。以前は法門と無関係な批判本は興味がなかったのだが池田創価の歴史を学ぶにあたり史料となりうるのは創価批判本以外にないということで古本を購入している。まだ数冊気になっていて未購読の書籍があるのだが「お高い」ので購入していない。そこまで高額な金銭を払ってまで買うほどの書籍でもないし他にも手に入れたい書籍もあるし。メリカリで運よく手ごろな値段で出品されるか宝くじでも当たれば買おうと思っている(笑)

私が読んだ創価批判本はこの画像プラス数冊で全部で20冊くらい。なるべく客観的に池田創価を判断できるように著者の違う創価批判本を読んでいる。1~2冊や同じ著者の書籍を読んだだけで池田創価を判断し批判するのはよろしくないと思うからだ。「小説・人間革命」が史実と思っている創価員は多いが俯瞰すると「人間革命」は池田に都合良く書かれたフィクション。悪く言えば「ウソ」が多いというのが、これらの創価批判本を読んだ感想である。「先生を裏切った退転者たちの怨嫉」とか「退転者は金・酒・女にだらしない連中」だから信用できないと創価員は有り体の反論をするだろう。しかし彼等批判者に「怨嫉」があったり彼等が「金・酒・女」にだらしなかったことが事実だとしてもだからといって彼等が根も葉もないウソを書いている証拠にはならない。彼等の書籍を読むに当たっては、池田大作に対する感情は各自違うので「感情的」な叙述は主観であり真偽未決であるからそうした主張に関してはあまり重視していない。事実として語られている主張を重視して読んでいる。その中で全員が一致する証言が多々ある。彼等批判者は口裏合わせもしてないし書籍の書かれた年代がバラバラであるにも関わらずその場に居合わせた人たちの一致する証言には客観性があり信憑性が高くその部分に注視しながら読んでいる。例えば山本伸一(池田)の即興詩は誰も聞いていない。戸田会長の「追撃の手を緩めるな」も戸田会長が池田を自分の次の会長に指名した事実はない(ウソ)。言論妨害事件や月間ペン事件の時に公明党に指示して自分(池田)が不利にならように政治工作したのは、創価側の山崎正友と公明党側の矢野絢也の証言が一致しているで本当。このように列挙すれば数限りない。まさに池田創価の歴史は「嘘八百」の歴史と思わざるを得ない。そしてこれらの批判本は池田大作を直接知らない人間が書いたものではなく、原島兄弟・石田次男・福島源次郎・山崎正友・龍年光など若き日の池田と時間と空間を共有した側近が全く同じ内容を証言しているのである。まさか女性の元会員を含めて全員が「酒に酔って」書いたわけはないだろう。これらの証言に共通する池田創価の実像を創価員が否定するのであれば池田大作の小説ではなく客観的な証拠となる様な史料を示すべきである。自分達は正宗からの脱落坊主達の証言を無条件に事実として語りながら、創価退会者(除名者)の言葉は何の具体的根拠や論拠もなく否定するのは無知性というものだ。(脱落坊主の与太話を正宗は根拠を示して論破している)具体的な根拠も挙げずにただ「池田先生に怨嫉した」「会長の座を狙った」「酒と金と女にだらしなかった」などという反論では全く反論のテイをなしていない。そして創価聖教新聞等で元側近の池田創価批判者を口汚く何十回となく罵っているくせに彼等の書籍の内容についての訴訟はほぼしていない。(矢野絢也の手帳強奪事件に関する新潮記事に関しては新潮社と矢野を訴訟はしたが創価側の敗訴)それは書籍の内容は真実であると認めていることと同じだ。つまり創価批判者が共通に証言している内容は池田創学会の実像に限りなく近いということである。破門前からの学会員はこうした書籍を読まないだろう。若い会員は「人間革命」に書かれている捏造・偽装歴史を信じて疑わないのだろうがそうした態度こそ宗教にマインドコントロールされいる姿なのである。「自分の意志で学会活動をしている」と創価活動家はいうが、その言葉すらもMCによって「言わされている」に過ぎないのである。学会員に知性が残っているのであれば池田創価批判本を読むべきである。その上で「反論」すべきだろう。

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