創価ダメだしブログ

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有名僧侶略伝③空海(弘法大師)

空海は774年、四国・讃岐に地方官吏だった佐伯直田公(さえきのあたいたきみ)の子として生まれました。18歳で大学に入りましたがその2~3年後に山林修行に入り私得度僧として出家しましたが出家後の足取りは不明ですが、804年の32歳の時に最澄と同じ遣唐使船団で正式な僧侶として入唐します。空海がいつ正式に受戒得度したかは不明ですが一説には東大寺戒壇院で具足戒を受けたと言われています。入唐に当たって、最澄が還学生だったの対し空海は留学生でした。そこで最澄とは違い唐の都の長安まで足を延ばし青龍寺密教系第7代祖師の恵果に師事しました。その密教の秘法を学んだ空海は翌805年に恵果から伝法阿闍梨の灌頂を受けます。そして空海密教を日本に広めるために806年に帰国します。809年に太政官の許可を得て帰京した空海は高雄山寺(後の神護寺)に入ります。810年の藤原薬子の変を機に空海嵯峨天皇の支持を受け一気に活動の場を得ます。39歳で高雄山寺で最澄ら145人に灌頂を授ける。43歳(816年)の時に真言密教の山岳道場を作るために高野山の下賜を嵯峨天皇に願い勅許を得て翌年に金剛峯寺の建立に着手し同年9月に空海自身も登山しました。821年には讃岐の満濃池を修築に成功しその後は822年・東大寺真言院建立、823年・平安京の東寺を賜り真言密教専用の道場とし828年に東寺の隣に庶民の学校である綜芸種智院を開設、830年に淳和天皇が諸宗に宗旨を説明するように命じた勅に答えて『秘密曼荼羅十住心論』と『秘蔵宝鑰』を著しました。そして835年に真言宗に年分度者3名の勅許を得ます。この年(835年)の3月に空海は62歳の生涯を閉じ入寂します。空海は荼毘に付されましたが、高野山金剛峯寺奥の院に入定(瞑想状態)し救いを求める衆生の前にいつでも現れるとし四国遍路で「同行二人」と書かれた笠や杖をもつのも弘法大師空海)と二人で行くという意味です。札所や真言宗寺院で唱えられる「南無大師遍照金剛」の「遍照金剛」とは空海の灌頂名(密教僧としての名)です。また弘法大師の大師号は921年に醍醐天皇から贈られました。

 

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