創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

有名僧侶略伝⑦道元

曹洞宗の祖・道元は、正治2年(1200)に貴族の頂点である藤原摂関家の子として京都で生まれました。父は内大臣・久我通親、母は藤原基房の娘で松殿または伊子と言われます。3歳で父、8歳で母と死別した道元は13歳の時に比叡山横川の千光房に入り僧になります。14歳の時に天台座主公円を師に受戒・出家しますが比叡山の修行に疑問を感じ翌年に比叡山を下り園城寺三井寺)を始め諸師を訪ねて教えを受け18歳の時に栄西の弟子の明全に師事して建仁寺に入りました。貞応2年(1223)24歳の時に明全と宋に渡り26歳で天童山・如浄の弟子になり2年後に如浄から曹洞宗の血脈を受けて建仁寺に戻りましたが道元の禅は直ぐには受け入れられませんでした。寛喜2年(1230)32歳の時に安養院に移り翌年に『弁道話』を著しますがこれが『正法眼蔵』の第1巻です。天福元年(1233)に曹洞宗の最初の専門道場・興聖寺を開創しますが禅宗独立の動きを警戒した比叡山からの弾圧が強まりました。そんな中で道元は『典座教訓』を著し、後に『永平清規』6巻にまとめられこれが僧院の最初の規則になります。仁治2年(1241)44歳の時に信徒の越前の地頭・波多野義重の招きにより越前に移り翌年そこに傘松山大仏寺を開き2年後に大仏寺を吉祥山永平寺に改称し、これが現在の曹洞宗大本山永平寺です。建長4年(1252)53歳秋に道元は重い病にかかり永平寺貫主を孤雲懐奘(こうんえじょう)に譲ります。この年に『八大人覚』を撰述しましが、これが『正法眼蔵』の最後の巻(95巻)です。あくる建長5年8月に療養のために京都の俗弟子・覚念の屋敷に赴き同所に寂します。54歳でした。遺体は荼毘に付され遺骨は永平寺に帰り廟所が建立されました。道元と言えば『正法眼蔵』が特に有名で解説書の類もたくさんあります。『正法眼蔵』は私も所持していますが途中まで読んで止まってます。何せ長いし日蓮大聖人の信徒の私のとっては補助的な知識ですからなかなか進みません。また『典座教訓』は現在の日本食文化の基本的なことが書かれていていてこちらは読みやすく現在にも通じることが書いてある書籍です。道元の禅は茶道を始めとする日本文化に大きな影響を与えていて、日本文化の知識・教養として道元を知るのも悪くありません。

 

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