末代には善無き者は多く善有る者は少し故に悪道に堕ちんこと疑い無し、同くは法華経を強いて説き聞かせて毒鼓の縁と成す可きか然らば法華経を説いて謗縁を結ぶべき時節なる事諍い無き者をや
今月の御講拝読御書は『唱法華題目抄』の御文です。本抄は文応元(1260)年・大聖人が39歳の時の御述作で佐前の御書ですが十大部に数えられる重要な御書で15問の問答形式で書かれています。今回の御文は【問うて云く一経の内に相違の候なる事こそよに得心がたく侍ればくわしく承り候はん】(法華経の中で摂受と折伏の相反する事が書かれているのが良くわからないから説明してください)という問いに対する答えで、「末法は善がない人が多いので放置していても三悪道に堕ちることは間違いないから摂受ではなく折伏するのですよ」と言われています。ここでいう【善無き者】とは世間通常の善悪のことではなく、妙法の下種を受けていない「本未有善(ほんみうぜん)」の人のことを言います。逆に過去に下種を受けた衆生を「本已有善(ほんいうぜん)」と言います。「本已有善」の衆生は一応法華文上でいうと五百塵点劫の久遠実成の釈尊に下種を受けた衆生ですが、再往文底においては久遠元初の本因妙の妙法を聞いた衆生です。何故なら五百塵点劫に成仏した久遠実成の釈尊の成仏の因(種)は久遠実成の当初の久遠元初の妙法だからです。さてこの「本已有善」の衆生は久遠実成の釈尊から長時間かけて熟益を受けた後にインドに出現した釈迦の法華経により脱益を受け正法・像法時代で全て成仏しまいたので、末法に生まれた衆生は久遠元初本人妙の南無妙法蓮華経に過去世で縁することがなかった「本未有善」の衆生ですからまず最初に成仏の種を植えないと(下種しないと)成仏できずに三悪道に堕ちてしまします。(この種・熟・脱を三益といいます)その成仏の種を植える(下種)のが折伏です。その方法は南無妙法蓮華経を聞かせるという聞法下種です。折伏というとなんだか相手を屈服させるように思いがちですけどそうではなく南無妙法蓮華経に縁させることです。また相手が妙法を謗っても下種となり相手を成仏させることが可能なわけです。日顕上人は『すべては唱題から』の中で、◇妙法の功徳は、教えを聞いて正しい信仰に入る順縁の人と、教えを聞いて背き逆らう逆縁の人を、共に救う。随喜し、唱題する者は仏と成る。また、順わず、逆らう者も、法界全体に広がる眼に見えない網のような因縁においての絶対な妙法と善縁を結ぶ故に、この勝れた縁により未来において救われるのである。と御指南されています。このように謗法者は一旦は堕地獄ですが下種をしておけばいつかは成仏しますから創価活動家タイプは謗法を引き出してあげるの事が慈悲なのです。決して彼等を地獄に堕とすのが目的ではなく彼等を救うことが破折の目的です。では成仏の種とは具体的には何かというと大聖人は『曾谷入道殿許御書』の中で、【大覚世尊仏眼を以つて末法を鑒知し此の逆・謗の二罪を対治せしめんが為に一大秘法を留め置きたもう】と言われています。この一大秘法とは言うまでもなく本門の本尊のことであり、大聖人滅後の今日では総体の本尊である本門戒壇大御本尊です。戒壇大御本尊こそが末法の一切衆生の成仏の種の正体なのです。ですから末法の衆生に下種することができるのは戒壇大御本尊を受持している日蓮正宗の僧俗以外にいません。下種の体である戒壇大御本尊を受持していない創価や顕正会の広宣流布など有名無実の空言です。こう書けばまた戒壇大御本尊を含む三宝誹謗の創価民がワラワラ沸いて無根拠な反論・誹謗してきますがそれでいいのです。彼等には謗法をさせることでしか下種できないのですからどんどん破折したくさん謗法を積ませてあげてることが重要なのです。遠慮して優しく接しても彼等のような謗法者は成仏できないのです。また謗法を見て放置すれば逆にこちらが謗法になり罪業を積んでしまいます。このように逆縁の人と順縁の人では折伏の方法が違います。順縁には説法、逆縁には破折です。順縁を破折したり逆縁に説法するのは効果がないのです。順縁には為人悉檀、逆縁には対治悉檀と四悉檀を心得て折伏弘教をしていきたいと思います。ただ順逆共に法を聴かせることは忘れないようにしたいです。説法がなければ創価・顕正会員と同じで世法に事寄せた単なる誹謗中傷になってしまいます。それでは折伏になりませんからね。
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