「人間の為に宗教がある」池田大作がいつもいっていた言葉で、現在の創価学会員もよく口にする言葉でもある。この言葉は池田のオリジナルの思想ではなくヒューマニズム(人文主義)主義は16世紀のルネサンス時代からある。もっともこの時期のヒューマニズムは現代とは少し違っていてルネサンス期のヒューマニズムとは古典研究という意味であり、池田のヒューマニズムは20世紀の啓蒙主義に基づいた「人間中心主義」というヒューマニズム思想である。確かに「人間の為に宗教がある」というのは一理ある。人間がいなければ宗教は無かったというのは事実だろう。しかし仏は常住であって衆生の存在の有無関係なく存在している。ただ衆生の要望に応じて仏が出世するかしないかだけである。従って「宗教」は人間の為に存在するが、「仏(法)」は必ずしも人間だけの為に存在するわけではない。また池田はドグマ=教条主義と定義しているようだが仏法をドグマ化しているのは衆生である。宗教的ドクマを具体的に言えば「自分の利益にならないことを喜んで行う」という教義解釈でありその意味で池田創価こそ宗教的ドグマによって会員をマインドコントロールしているカルト宗教なのである。「人間の為の宗教」「人間主義」という言葉には一瞬納得してしまうだろうが、池田の言う「人間の為の宗教」とは、「人間が仏に取って代わる」ことを意味している破仏法の思想なのである。破門以降の池田指導は、「自分が仏」「自分が本尊」という「凡夫本仏論」「己心本尊論」であることは現在の学会員の主張を聞けば論を待たない。凡夫である人間が本仏であるという「人間主義」とは正に「華麗な言葉による普遍化」の創価プロパガンダなのである。池田の「人間主義」とは人間が本仏の地位を奪いその座に居座ること意味する。その狙いは、凡夫である池田大作が御本仏・日蓮大聖人の代わりに本仏として君臨することにある。「そんなことはない」と学会員は反論するかもしれないが、現在の学会員は大聖人より池田大作優先であることは動かしがたい事実だからこそ創価学会仏、僧宝・創価学会などという不敬極まりないインチキ教義を受け入れるのである。また己心本尊論の学会員は御本尊を仏の体と拝せないから御本尊不敬とは何であるかも理解できない。そもそも人間はどれだけ戦争を起こし他の生物を絶滅させ環境を破壊してきたことか。そんな人間が仏になりかわろうとする事は非常に危険かつ傲慢な思想だ。そのような仏を自分と挿げ替えるような人間が現れたら断固阻止・破折するのが真の仏教者である。仏法とは「人間の為の憲法」なのである。池田創価のように仏法を歪曲・利用するよううな謗法者の横暴を抑止するために仏法の法門は存在するのである。「人間の為の宗教」とは人間の為に仏法を自己都合で利用することではない。「心の師となるとも心を師とせざれ」(涅槃経)と人間の悪しき欲望を抑止することが「人間の為の宗教」の本当の意味である。今の池田創価は人間に宗教を隷属させようとしている破仏法の団体なのである。池田創価の破仏法のトリックに騙されてはならない。そのために池田創価のインチキ仏教は破折していかなければならにない。
創価学会の退会方法(静かに創価を去るために) - 創価ダメだしブログ
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