世間の学者の想に云く此れは天台一宗の義なり諸宗は之を用いず等云云、日蓮これを案じて云わく、八宗・十宗等は皆、仏の滅後よりこれを起こし、論師・人師これを立つ。滅後の宗をもって現在の経を計るべからず。天台の所判は一切経に叶うによって、一宗に属してこれを棄つべからず。諸宗の学者等、自師の誤りを執する故に、あるいは事を機に寄せ、あるいは前師に譲り、あるいは賢王を語らい、結句、最後には悪心強盛にして闘諍を起こし、失無き者これを損なって楽しみとなす。
創価の座談会御書は今月も以前に講義した御文なので過去記事をリンクして置き、今回も創価学会員の為の御書要文の講義にする。今月は『寺泊御書』の上記の御文で、涅槃経の御文を天台が会通した「贖命重宝」(命を贖(あがな)う重宝)の法門に対して世間の学者は「これは天台宗だけの義であって、諸宗ではそういう義は用いない」と言っていることに対する大聖人の反論(考え)を述べられている御文である。要約すれば各宗派は全て釈迦滅後の論師・人師によって法門を立てているが、そのような釈迦滅後の人師・論師の説で釈迦の経典を解釈してはいけない。天台の会通は釈迦の一切の経典に照らして正しい。故に天台宗の法門だからといって棄ててはならない。という大聖人の御指南である。この御指南は大聖人を御本仏と立てる創価学会にも当てはまる。破門以降、創価学会は独自の教義を次々と打ち出して学会員はそれが正しい大聖人の仏法であると主張する。しかし創価は大聖人滅後にできた教団であり池田大作(牧口・戸田も)は大聖人滅後の人師である。「大聖人直結」などではない(そもそも大聖人直結という義も池田の説である)。このような大聖人と無縁の人師である池田大作の解釈で大聖人の仏法を解釈してはならないという事だ。大聖人仏法の法門は二箇相承に明らかなように日興上人に唯授一人血脈相承されで以来現在まで大石寺の歴代法主上人に伝法されてきた。従って大聖人の仏法を会通できるのは大石寺の法主上人ただ御一人でありそれは「大石寺だけの法門・教義」ではなく日蓮大聖人を御本仏と仰ぐ全ての宗派共通の法門・法義であり、破門されたかといって棄ててはならない教義なのである。ところが現在の創価は池田の誤謬に執着し戒壇大御本尊を棄てるという悪心を起こし、法門法義に関して何の過失もない日顕上人や日蓮正宗を誹謗中傷しているのである。こうなると創価学会の行き着く先は大聖人御本仏の教義を捨てる以外にない。創価教学は既にその方向に舵を切っている。そうして池田創価は仏法ですらなくなり、名実ともに数多ある戦後のインチキ宗教団体の仲間入りとなるのである。それでも恐らく多くの創価学会員はそれに従うだろう。日蓮大聖人は、「師なりとも誤りある者をば捨つべし」(曽谷殿御返事)と言われている。日蓮大聖人を棄てて池田を取る創価学会員は実に愚かで哀れである。一日も早く正信に戻るべきである。
■今月の座談御書講義はこちら▶創価教学じゃない御書講義(2020年9月座談会御書・三三蔵祈雨事) - 創価ダメだしブログ
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