創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

創価学会員の為の御書要文講義⑥(善無畏三蔵抄)

人の多くおもうにはおそるべからず、また時節の久・近にも依るべからず、専ら経文と道理とに依るべし。

創価の座談御書は今月も以前と同じ御文なので過去記事のリンクだけして今回は『善無畏三蔵抄』の御文の講義にする。創価学会員は日蓮正宗を批判するときに、何かと正宗の信徒数が少ないことを指摘し「弱小宗門」などと卑しめる言葉を使い、人数の多い創価学会があたかも正しいなどと主張するが、大聖人は人数多寡や歴史の長短などは宗教の正邪の判断材料にならないと明確に御指南されているのがこの御文である。「人数が多いから創価が正しい」とか逆に「歴史が長いから正宗が正しい」などという類の議論での正邪の判定を大聖人は否定されているのだ。大聖人は宗教の正邪はあくまでも、文証と理証(専ら経文と道理とに依るべし)で判断すべきであると言われているのである。特に対論においては文証と理証による議論が重要であって創価員の良く使う「人数が多い」「世界に広まっている」「正宗僧侶は腐敗堕落している」などいう理論で正宗批判をすることは仏法の正邪と無関係な単なる罵詈雑言に過ぎない。また創価員の体験談や現証論も文証・理証のエビデンスを示せなければ全く創価信仰が正しいという根拠にならない。創価お得意の日蓮、仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず。また、道理・証文よりも現証にはすぎず」の御指南も文証・理証に現証が優先するという意味で使う創価員が多々いるが間違っている。この御文は文証・理証の正しさを証明するのは現証が一番であるということだ。そもそも三証全て揃ってこそ正しい宗教の証明なのだから文理のない創価の功徳の体験など全く創価正義の証明にならない。これで分かった思うが「人数が多いから創価が正しい」「世界中から顕彰さているから池田先生は偉大」などというハッタリは仏法の世界では通用しないのである。日蓮正宗大石寺は「針金宗」と揶揄されているように確かに既存仏教宗派の中でも人数は少ない。その大きな理由は折伏が宗是の宗派だからである。浄土真宗臨済宗などの他宗が信徒を増やした理由は権力者に保護されたことと大衆に迎合したことが大きい。権力者の帰依を受けることはまだしも祖師の教義を変更して大衆迎合したのが他宗派である。親鸞道元の最初の教えと今の真宗臨済の教義は違うのである。日蓮正宗だけが祖師である日蓮大聖人の法門法義を大衆や時代に迎合することなく遵守してきた宗派なのである。それ故に信徒数が爆発的に増えないだけである。信徒を獲得するために仏教を歪曲して自宗の祖師の教えも改竄するような宗派のどこに正義があるというのか。それでも正宗は創価破門後現在に至るまで大聖人の法門法義を広め折伏し着々と信徒が増えているのである。創価が国外で信徒を獲得するために勤行をインスタント化するなど大衆迎合したのは事実であり、それによって信徒が増えても威張れる話どころか恥かしい話なのである。そして現在も法門法義によらず大衆(会員)向けの世間話(しかもデマ)で日蓮正宗を誹謗しているのが池田創価である。毎回、教学試験で「日顕宗を破す」などと勉強しているが実際に日蓮正宗法華講を「破折できる」創価学会員など皆無だ。何故なら創価の宗門批判は文理に欠けているからである。だから人数に頼って虚勢を張っているだけで法華講員とサシで対論出来る会員すらいないのだ。こんな愚劣な教団に日蓮大聖人の仏法を語る資格などないし、折伏広宣流布などできる道理はない。現役の創価員はまずは正しい大聖人仏法の文理を学ぶことが先決である。

 

■今月の座談御書参考記事▶創価教学じゃない御書講義(30年9月座談会御書・曾谷殿御返事) - 創価ダメだしブログ

 

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