創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

体験談だけが頼りの創価員。仏法は理屈だよ。

ブログ等で体験談を語りその体験を根拠に「創価の信心は正しい」とか言う創価員って結構いてその中には日蓮正宗には功徳御体験がないと自分勝手に決めつけて正宗や法華講を腐すようなアタオカ学会員もいたりする。聞かれてもいないのに体験を自分から語りだす学会員の体験談ってたいていは「大したことないショボい内容」と相場が決まっている。「俺も昔はヤンチャして云々」と自分から語るヤツがたいしてヤンチャしていないと同じだ。本人にとってはものスゴイ体験なんだろうけど第三者から見たら別にどうってことないような事ばかりで「よく恥ずかしげもなくこんなことネットで公開すなぁ」ってモノばかりだ。まぁ池田大作の小説ほど恥ずかしくはないがそれにしてもある程度年齢を重ねたオッサンやオバサンの自分語りはみっともないと私は思うけどね。当ブログの読者で正宗に移籍して大白法(正宗の機関誌)に体験談が掲載された方がいるのだけど内容は身バレするから書かないがアタオカ学会員の体験などとは比べ物にならないくらい「スゴイ体験」だったよ。アタオカ体験自慢の学会員のロジックで言えば創価の信仰より法華講の信仰の方が功徳があるので正しいということになるな(笑)。アタオカ学会員はそもそも体験談は宗教の正邪の判定材料になり得ないことを分かっていないよな。創価学会員全員が幸福で法華講員全員が不幸ならば話は別だけどそうじゃないのだから体験を根拠に創価正義を訴え正宗法華講を誹謗するなんて愚の骨頂で莫迦でしょ。別に体験談を全否定しているわけではない。体験談は同じ信仰をしているか若しくは同じ悩みがある人には様々な効果はある。ただし対外的な説得力としては弱いしましてや他宗を破折するツールにはなり得ないということだ。つまり体験談とは「個人の感想」であって客観的なエビデンスにならないし不特定多数の他人とコンセンサスもとれない。だから私にも信仰の功徳体験はあるけど私個人の感想(体験)で創価を破折する気はないから当ブログでは誰かに質問されない限り自分の功徳体験を自慢げに書くつもりはない。さて、そんな自身の体験談に酔っている学会員の多くがいうセリフは「信心は理屈ではない」という屁理屈である。それは創価信仰には理論的根拠がないということを自ら宣言しているわけだが、大聖人が◆仏法と申すは道理なり(四条金吾殿御返事)と御指南されているように仏法は理屈(道理)なのである。何故なら仏法は因果の理法を説いたものであり因果律とは道理(理屈)だからだ。故に大聖人は◆但し法門をもて邪正をただすべし利根と通力とにはよるべからず(唱法華題目抄)と正しい道理(法門)に依らないような功徳や奇跡で仏法の正邪を判断してはならないと御指南されているわけだ。また「歓喜」とか「感動」も同様である。仏法は「好き嫌い」などの感情でその正邪を判断するものでない。あくまでも三証によって判断するものなのである。体験は現証かも知れないが体験だけで道理(理屈)が伴わなければ三証が揃わないから正法と言わない。いうならば「魔の通力」だ。個人的な体験談だけを頼りに「信心は理屈(法門)ではない」などと宣う学会員は仏法に無知で大聖人の御指南に違背する痴れ者なのである。だから魔の通力を功徳と思い間違いしてしまう。そんな痴れ者が戒壇大御本尊を受持し外護している正宗の僧俗をクダラナイ個人的な体験談をもって誹謗するなど笑止千万である。そもそも学会員達が拝んでいる本尊は全て大石寺戒壇大御本尊を正宗の歴代上人が書写した本尊だろう。それなのに大石寺や歴代上人を誹謗している時点ですでに創価信仰は道理に反している。仏法は因果律だから道理に反した信仰に善い結果は出ない事は仏法者なら普通に理解するだろう。しかし創価には法門などないから功徳現れる理論的証明な不可能で、「宇宙のリズムと合致する」とか「自身の仏界を涌現する」等々、臍で茶を沸かすような屁理屈を言うのが精一杯なのだ。池田創価の連中は、「この信心」とか「この御本尊」とかあやふやに誤魔化すだけで「どの」信心・御本尊かはまともに答えられない。池田創価にはオリジナル本尊がないのだから法門・法義もない。破門されて30年以上も経過しているのにいまだに正宗の本尊と法門をパクリ続けている惨めな新興宗教団体の信徒は「いいことが有ったら池田創価のお陰」と思い込むだけの哀れな信仰しかできない。世間でも「無理が通れば道理が引っ込む」というように元々「道理(法門)」がない創価に残っているのは「無理」だけである。功徳体験も無理筋。学会活動の意義も無理筋。創価教学も無理筋。理屈に合わない活動や指導も無理やり信仰に結び付けつけて自分達が正しい信仰をしていると思い込んでいるだけである。「日蓮大聖人直結」などという教え?は無理筋を通り越してオカルトだ。昭和にできた新興宗教創価がどうやって鎌倉時代日蓮大聖人に直結できるのか?インチキにも程がある。無理に選挙活動や新聞啓蒙などする必要はない。否、道理に外れた学会活動は今すぐ止めることが人としての道理に叶う生き方である。創価学会員の功徳の体験など何の説明もつかない単なる与太話なのだから真面目に聞く必要はない。それが道理である。

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