抑今の時・法華経を信ずる人あり・或は火のごとく信ずる人もあり・或は水のごとく信ずる人もあり、聴聞する時は・もへたつばかりをもへども・とをざかりぬれば・すつる心あり、水のごとくと申すは・いつも・たいせず信ずるなり、此れはいかなる時も・つねは・たいせずとわせ給えば水のごとく信ぜさせ給へるかたうとし・たうとし。
今月の御講拝読御書は『上野殿御返事』からの御文ですが、この御文は創価の座談会御書でも取り上げられているので過去記事をリンクしておきますので詳しくはそちらの記事を参考にしてください。日亨上人はこの御文について、「此等の火の信心者に対しては、一刻の油断も出来ぬ。火吹竹を以て薪を吹き付け、マッチを摺って瓦斯に点火する事を怠ってはならぬ様に、一生涯を通して吾と自ら信心を策励し、又他人からも勧誘してもらはねば、何日となく退転するものである。此に反して、常恒不断の信仰は、消極的で極々微温の者に多い。不退の方は結構であるが、微温では仕方がない。消極では困りものである。自身だけは謗法もせず、迷ひも怠りも為ぬ積りであらうが、消極の信心、微温の信仰では化他力が少ない。白熾熱にして始めて燃焼の力用うが強い。熱心なればこそ他人を感化するの効用がある」と御指南されています。【水の信心】とは往々にして情熱に乏しく惰性に陥りやすく、また自行だけしていれば良いと思い化他行(折伏)をすることが少なくなってしまう場合があるという御指摘です。そして「欲を云へば、火の信仰を水の信心に続かせたい。即ち熱湯の信仰と云ふべきであらうか」と【熱湯の信心】を勧奨されています。【熱湯の信心】とは勤行唱題・御供養参詣等の自行だけに留まらず折伏弘教という化他行を続けていく信心ということすね。また日如猊下は「折伏に当たっては、たとえ相手が反対したとしても諦めず、根気よく、諄々と法を説いていくことが肝要なのであります。」(令和五年二月広布唱題会の砌)と御指南されていますが実に的を射た御指南です。私は創価活動家時代に2年ほど弘教長を買って出てその間に個人折伏を含めて男子部だけで30世帯ほど本尊流布しましたがその経験則からの折伏の秘訣は、「仏法の話をすること(池田や創価の話はしなくていい)」と「折伏をやり続ける」のたった二つです。このふたつを出来ない創価学会員は折伏が決まりません。友人を折伏セミナーに連れ出しても幹部は池田創価の話だけをして大聖人の仏法をせずに、「また是非こういた会合にきてください」といって帰す。或いは仏法の話をきちんとしないうちに入会を迫る。これで友人と気まずくなってそれからは信心の話をしなくなるところか疎遠になってしまう。これでは折伏が決まらないのは当然です。確かにすぐに入信する人もいるでしょうが、往々としてそのような人は信心が続きません。時間がかかっても最初は相手が聞く耳を持たなくても焦らず弛まず家族・親族・友人知人といった人達に仏法の話を聞かせ続けることが折伏成就の近道です。本ブログも開設から10年目になりますが、それも仏法の話を発信し続けるという折伏弘教の私の信念に基づいてのことです。(当ブログでは更に池田創価の謗法も発信し続けます)この「続ける」という行為・行動が【水の信心】であると思っています。【水の信心】という言葉を聞くと【川】の流れを思い浮かべる人が多いと思います。私の子供頃は夏になるとよく川で泳いだり魚を獲って遊んだ記憶があります。川で泳いだ経験のある人なら分かると思いますけど、川って見た目はゆるやかで穏やかな流れに見えても、その中心の流れは見た目以上に速くて勢いがあって私は海より川の方が危険だと思っています。実際に溺れそうになったことや溺れた友人を助けたことがあります。そんな川のように「見た目は穏やかだけどその中心は常に激しく流れている」それが私の【水の信心】のイメージであり、そのような信心をしたいといつも思っています。
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