創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

非公開さんへの質問への回答。

昨日、非公開コメントにて質問いただきましたので今日はそれについて回答します。

質問の内容は以下の通りです。(太字がコメントの内容)

ます、例の創価インチキ教学を学んいる婦人部のラン氏のブログより以下の内容を引用。

悪には対しては根に持っていかなければならない

広宣流布においては、日蓮大聖人を裏切り、同志を裏切った悪人を、徹底的に追及しなければならない。日本的な「水に流す」とか「みそぎ」とかいう慣習は、一見、寛容のようであって、じつは「悪への怒りがなく、けじめがない」だけである。「もう、この辺でいいだろう」は精神の敗北である。日蓮大聖人も、日興上人も、どんな小さな悪も許されなかった。仏法は、「人情論」ではない。「正義の大闘争」である。日興上人も、「五老僧」とその一味を、最後まで許しておられない。「五人所破抄」を弟子に書かせたのは、身延離山から数えて、なんと四十年後である。ご入滅の直前の「日興遺誡置文」でも、厳しく「五老僧たちの立てた宗義は、ひとつひとつ、すべて師匠である日蓮大聖人のご化導と違っている」と破折しておられる。最後の最後まで、追撃の手をゆるめておられない。

まぁこれは別にラン氏の意見ではなく、大作センセイの「輝きの人間世紀へ御書とその心より」からの抜粋のようだが、このラン氏の記事を引用してから次の質問がありました(青字)

日蓮大聖人の教えをベースにした創価の教え」であり、

日蓮正宗の教義とは全く違うものであると認識しておりますが

上記のように、「根にもつ」と言うことが日蓮正宗の教義にあるのでしょうか。

さて結論から先に書きますが日蓮正宗において「根に持つ」などという教義はありません。

日蓮大聖人のご聖訓には、

◆但生涯本より思い切て候今に飜返ること無く其の上又遺恨無し諸の悪人は又善知識なり摂受折伏の二義仏説に依る、敢て私曲に非ず(富木殿御返事)

との教えがあります。日蓮大聖人はご自身を迫害した人々に対して「遺恨はない」と言われたうえで、むしろ自分を迫害した人々こそ自分を成仏に導いてくれる人達であると言われています。日蓮大聖人の仏法の弘教方法は「折伏」といって相手の間違った「宗教観」を正す方法ですから時には相手の宗教観を否定することはありますが、上記のご聖訓にあるように「私曲」つまり自分の勝手な意見ではなくあくまでも経典を基にした意見です。そうした教義ですから「根に持つ」などという私怨で相手を非難することなどありません。「折伏」は一見強引に思える弘教方法だと思いますがその根本は「慈悲」です。慈悲を根本としていれば「根に持たなければいけない」などという指導は出てきません。また仏法に敵対した人間にたしてジャッジするのは大聖人仏法においては「信徒」でも「僧侶」でもなく、ご本仏です。一在家の信徒が「許す」「許さない」などと烏滸がましく口にすること自体日蓮正宗の教義においてはあり得ない話です。創価では退会者を悪人の如く罵倒しますが、日蓮正宗信徒をやめた人を法華講員は別に罵倒したりしたりしません。最後にジャッジを下すのはご本仏ですから別に我々が宗旨変えをした人になんだかんだ言う必要もないのです。日蓮正宗に池田創価のような「根に持つ」という教義がないことは私のような一時日蓮正宗法主を口汚く罵っていた人間であってもこうして日蓮正宗に戻れたことを見れば明らかですし、ネットの世界を見ても創価から正宗に戻った人達の発言は「創価に対する恨み辛み」を感じさせるような発言はあまり見当たりません。むしろ創価をやめて無宗教でアンチになった人達の方が「恨み辛み」を感じさせる発言が多い気がします。本人達は「覚醒」と自賛していますがあまり創価と変わらないなぁと思っています。

さて、非公開さんは「日蓮大聖人の教えをベースにした創価の教え」と言われていますが、正確に言うと「日蓮大聖人の教えを悪用している」のが「創価の教え」なのです。ラン氏が引用した池田氏の言葉は「輝きの人間世紀へ御書とその心より」とい書籍から抜粋のようですが、この池田氏の「根に持て」などという教えは「御書の心」すなわちご本仏・日蓮大聖人の心からかけ離れた単なる池田氏の自分勝手な意見にすぎません。それをあくまでも「日蓮大聖人」も同じであるがごとく見せる為に「御書の心」などと言って日蓮大聖人を悪用しているのです。角度を変えて論じれば池田氏はご本仏である日蓮大聖人を自分と同じ立場に引きずり降ろしているとも言えます。創価の会員達に「大聖人と自分達には差別がない」とか「自分の中に本尊が在る」とか教え込んでいるのはまさに「会員=日蓮大聖人」とそそのかしているわけです。そして、その会員達には自分(池田)が師匠であるとカマしているわけです。そう会員を仕向けることにより最終的には、池田>日蓮大聖人という図式とするのが池田の指導の目的です。「大聖人よりも俺の方が偉い」と会員を洗脳するわけです。事実、生身の大聖人である戒壇大御本尊を捨て池田氏を師匠などと言っている学会員にとって、池田>日蓮大聖人の思想がしっかり根付いています。そしてそれを否定したり非難したりする奴を「許すな」「根に持て」と言っているわけです。ある学会員がSNSで「創価の師弟を馬鹿にするやつは許さない」と言っていましたが、この思考が創価の教えといっていいでしょう。「創価の師弟」なんて日蓮大聖人になんの関係もありませんから。このように今の創価が言っていることは日蓮大聖人を本仏とする日蓮正宗の教義とは全く無関係な池田創価の教義でしかありません。

しかし非公開さんを始めとする多くの一般の人達や元創価の人までもいまだに「創価」と「正宗」の教義が同じであるとか「創価」が日蓮大聖人の仏法の教義を信仰しているかの如く誤解している方々が多くいます。これは日蓮正宗信徒としては非常に迷惑な話です。そして何よりも「日蓮大聖人」を悪用する、日蓮詐欺集団の創価に対して一人の大聖人仏法の信徒としてそれを見逃すことはできません。それ故に私はこのブログを書いているし、リアルでも学会員を破折したり折伏したりしているのです。それは全く「恨み辛み」などではありません。そもそも創価に対して何の「恨み辛み」もありませんし「根に持つ」ような出来事もありません。また、大聖人に詐欺の片棒を担がせるような創価は絶対に許しませんが、そうした学会員さんを「絶対に許さない」「追い詰める」なんて思っていません。もちろん私が「救ってあげる」などという事も思っていません。ただ早く気づいて欲しいと思っているだけです。そのことは本ブログの過去の記事を読んでいただければご理解いただけると思います。

長々となりましたが本稿をもちましてご質問の回答とさせていただきます。

また何かあればコメントしてください。教義的なご質問はできれば多くの読者さんにも分かるように公開でコメントいただけると幸いです。


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