創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

日顕上人の御遷化。

昨日(9月20日)に日顕上人が御遷化しました。96歳でした。大石寺の御歴代の中で最もご長寿でした。昨晩と今朝の勤行で微力ながら日顕上人への追善回向を大御本尊様へご祈念しました。

美有さんから日顕上人の追憶記事をとのコメントをいただきましたが、返信にも書いたように私にとって日顕上人は創価の広宣部時代に散々誹謗してきたことが一番の思い出としかいいようがありません。今振り返ると別に個人的に日顕上人に何か嫌なことをされたわけでもないし会ったことも話したこともないのにおかしな話です。さすがに「日顕宗撲滅」なんて祈ったことはないですけど当時仏壇には嫁が婦人部からもらった「日顕宗撲滅」と書いてあるカードが有ったことは記憶しています。

また私がかれこれ30年前に日蓮正宗創価学会に入会・入信した時に戴いた御本尊が日顕上人書写の御本尊でした。その後創価のカラコピ掛け軸に取り替えましたが、交換については当時バリ活になっていた嫁のたっての希望で、当時未活だった私的には取り換える必要はないと思っていました。未活ながらも一度貰った本尊を取り替えるのは変だし、また3000円払うのかよと思っていました。当時はド貧乏でしたからその3000円は大きな金額だったわけです。そして時が過ぎ勧誡を受けた時に再び戴いた御本尊が最初に戴いたのと同じ日顕上人ご書写の御本尊でした。私はてっきり現法主の日如上人の御本尊だとばかり思っていたのですが日顕上人の御本尊だったので何故か非常に嬉しかった。勝手に自分と日顕上人は縁があるとか、日顕上人が創価時代の私の誹謗の罪を許してくれたんだとか思いましたね。その日顕上人の御本尊が現在我が家にご安置している御本尊です。

さてSNSなどでは一部?創価バリカツが日顕上人の御遷化に対し「おめでとうございます」とか「万歳」とか「ザマ見ろ」というような発言をしています。藤原弘達がなくなった時に大量の祝電を送ってきた創価気質は健在のようです。今朝の聖教では何も触れられていないようでうが、そのうち新報や地涌などで何かしら書くのではないかと思います。あれだけ日顕上人に対し敵意をむき出しにしてたのだからスルーってことはないでしょう。まぁ創価バリカツ民が「サマァミロ」と発言しても別にそれに対しどうこう思いません。むしろ自分が嫌いな人間が死ねば「ザマアミロ」と思うのは凡夫として自然な感情です。もっともそれを口に出さないのが一般常識というモノですが創価バリカツ民に今更一般常識を語るのはまさに馬の耳に念仏というヤツですからどうでもいいです。多分、大聖人が御遷化遊ばされた時も「ザマアミロ」と言ってた人々も大勢いたと思います。その程度です。そんな創価バリカツ民の発言を読んでて思うのは、自分自身が日顕上人の御遷化に当たり「ザマアミロ」というような立場でなかったことに安堵しています。一歩間違っていたら今頃このブログに「ザマアミロ」と書いていたかもしれません。それがそうでなく日顕上人に対し感謝と報恩の念を持って日顕上人ご書写の御本尊に追善の唱題を上げられる立場でいらることに安堵しているわけです。

個人的な意見を言うと、日顕上人は後世に大きく名を残す御法主上人だと確信しています。なにせ宗門史上最大の謗法団体である創価学会とその首謀者である池田大作を破門し富士の清流を守ったわけですから。創価を破門すれば宗門も大きな痛手を蒙る事は十分に分かっていた。それでも日興門流の正法正義を守るために創価と池田を破門した。創価日顕上人の事を遊蕩坊主と誹謗するが遊蕩を続けたければ創価を破門したりしない。むしろ池田を立てて置けば金は十分もらえたはず。ただ創価をあそこで破門しなければ大御本尊は池田謗法創価学会に奪われ創価の金儲けに利用されてることは大御本尊を捨てた現在の創価の姿を見れば容易に想像がつきます。それをあの当時に見破って創価を破門したことは仏眼・仏智としか思えません。ごれが唯受一人血脈相承がなせるわざだと思います。経済的にも疲弊しただろうし何よりも日顕上人に対する創価の執拗なまでの悪口罵詈に一歩も引かず対峙されたお姿は後世の宗門史に燦然と輝く功績になるだろうと思うし未来の僧俗への規範となると思います。

さて、創価バリカツ民の中には日顕上人の御遷化で宗内が混乱するかのごとき予想をするお莫迦もいますが、日蓮正宗創価や顕正のごときイカサマ新興宗教団体と違うので心配ご無用です。正宗の法主とは池田や浅井のような「カリスマ」ではありません。あくまでも大御本尊からの「法体」を相承している方です。そりゃ池田や浅井が死んだら創価や顕正は混乱するでしょうが富士門流はそんな事は微塵もありません。御歴代が御遷化しても僧俗和合して大聖人仏法を黙々と広宣流布していくだけです。そうやって800年間続いてきたのです。唯受一人血脈相承ですから創価や顕正のような「跡目争い」もないのです。

さて、今回の日顕上人の御遷化の報に触れ私個人としては生きている限り創価を筆頭とする謗法を呵責し続け一人でも多くの創価民たちが大御本尊の許へ帰れるよう祈り語っていくという決意を新たにしました。そして臨終した時には大聖人と御歴代にお会いしその時には日顕上人にもお会いしたいと思っています。

追記:早速、学会系怪文書の「フェイク」が日顕上人の逝去について書いてますね。これを読んでトチ狂う学会員もわいているようですが世間の評価はそんな非常識学会員に厳しいようです。


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